川曲神社 (稲沢市子生和町)
(こうわじんじゃ)


尾張国中嶋郡
愛知県稲沢市子生和町北屋敷1604
(境内に駐車可)

■延喜式神名帳
川曲神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
菊理媛神
應神天皇


濃尾平野の中央部、穀倉地帯の中の古い集落、稲沢市子生和町(こうわちょう)に鎮座する社。社名訓みは現在が「こうわ」、「神社覈録」(明治三年)は「加波和(かはわ)」、「神名帳」は「かはわの」。

◎創建年代、由緒等不明。「神社覈録」は、続紀が神護景雲三年(767年)に「鵜沼川」(「木曽川」のこと)で洪水が起こり、葉栗・中嶋・海部の三郡の百姓宅等が流されたと記録しており、当社は旧「鵜沼川」の交に鎮座する故に「川曲神」と称するという説を上げています。
◎ただし当地は「木曽川」とはかなり離れており、またかつての流路はさらに北側であったとされます。支流の「大江川」が近くを走っているため、こちらではないかと。
或いは「式内社 川曲神社」の論社として挙げられている貴船神社(岐阜県羽島市正木町、未参拝)が、「木曽川」沿いに鎮座、かつては南1kmほどの中嶋郡「曲利村」に鎮座していたと伝わり、そちらが式内社としてはないかと。そちらは水波能賣神を祀ります。
◎ご祭神については「神社明細帳」(明治初年)「神社覈録」ともに祭神不詳としています。現在は菊理媛神・應神天皇となっていますが、その由緒は示されておらず、また原初からのものか不明。
◎例祭の「御歩射神事」のうち「的射神事(おまとしんじ)」では、的の表に鬼の三字、裏には三つ巴が描かれているとのこと。また神主は「山・谷・星」と声を上げ桑製の矢を放つとのこと。「星」というのが気になるところ。天香香背男命でも祀っていたのでしょうか。
◎「尾張名所図会」などは、「天保村絵図」に「十三権限」と見え、村民が「従三位」を「十三」と思い間違え「十三権現」と呼ぶようになったと伝えます。
◎明治初期まで境内に磐境があり、石垣造築の時消滅し、「鏡石」「烏帽子岩」とのみ残り神殿の両側に置かれているとのこと(瑞垣の隙間から覗くも確認できず)



車はこのように停めました。



瑞垣内のご本殿を覗くも、磐境の跡は確認できませんでした。

境内社の秋葉神社(向かって左)と津島神社(向かって右)

境内社は他に八幡社、熊野社、御嶽神社があるようですが、2社しか確認できず。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。