八本杉 (伝 斐伊波夜比古神社)


出雲国大原郡
島根県雲南市木次町里方486-2
(P無し、参拝当日は斐伊神社境内に停め置き3分ほど歩きました)

■延喜式神名帳
斐伊神社の論社
同社坐斐伊波夜比古神社の論社

■祭神
(不明)


「斐伊川」中流域沿い、雲南市役所近くのちょっとした市街地の住宅内に鎮座する社。
◎「出雲国風土記」に「樋社」として、「樋社」と「同樋社」の二社が記されます。当社はそのどちらかとされています。
この二社は天平年間(710~784年)に斐伊神社として統合されたと伝わります。そして延喜式神名帳には「斐伊神社」と「同社坐斐伊波夜比古神社」として記されます。その斐伊神社は当社より東50m余りに鎮座。
「雲陽誌」という書は当地を斐伊波夜比古神社の鎮座地に、「風土記抄」という書は当地を斐伊神社の鎮座地としています。
◎当社の「八本杉」というのは、スサノオ神の八俣大蛇退治における古戦場であり、また退治した大蛇の蛇頭を埋め、その記念に杉を植樹したと伝わる地。或いは大蛇が甦らないようにと、上から植樹し封印したというものも。
◎社頭案内板には須佐之男命の御神詠として、
━━我たのむ 人を恵みの 杉植えて 
八重垣かこみ 守る末の代━━
を掲げています。ところがこのような歌は記紀には見られず、「出雲国風土記」はそもそもスサノオ神の八俣大蛇退治神話は記されておらず、出所は不明。後世に誰かが「須佐之男命の御神詠」として詠んだ歌なのでしょうか。
◎現在、境内には小木を含めて辛うじてハ本の杉があります。案内板には寛永十年(1733年)の洪水により転覆流出し、またその後の数回の洪水で流出、度々補植したものであるとのこと。








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