糸吉神社
河内国交野郡
大阪府交野市倉治
(「倉治公園」の東側山裾、アクセス・駐車は下部写真参照)
■祭神
糸吉大明神
霊峰「交野山(こうのさん)」の北西裾に鎮座する社。山の木立の中に埋もれたようにひっそり佇んでいます。その様からスピリチュアル系など低俗な輩の巣窟にも。
創建由緒等は不明。交野市(かたのし)「倉治(くらじ)」は、古墳時代(4~5世紀頃)に一族を率いて渡来し帰化したとされる「漢人庄員(かんじんしょういん)」たちが開拓としたとされる地。「倉治」は「秦者」と称される時代もあるなど、一族は織物業を専業としていたことでも知られます。また6~7世紀頃には「秦氏に代表される交易商人によって組織された養蚕布織の技術を持った民が大陸から渡来」(機物神社サイトより)とも。
当社はその一族が奉斎したとされる機物神社(後ほど記事UPします)と、その御神体山とされる「交野山」山頂との中間辺りに鎮座。当社名からおそらくはその流れを汲む社と考えるのが自然かと思います。社殿等の様子や眷属神からみて、糸吉大明神とは稲荷神かと思われます。一族の生業繁栄や五穀豊穣の祈りを捧げた社ではないかと想像します。