◆ 「月讀命」を紐解く(4)

~「ツクヨミ 秘された神」より~





前回の記事では著者 戸矢学氏に対しての批判ばかりとなりました。


ま…それはそれ、これはこれとして。


途中の経緯はさておき、

いよいよ核心へと突入していきます。



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■過去記事


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【ツクヨミ・勾玉デビュー!】

「二種神器」だったものを「三種神器」に改変し、制定したのは天武天皇であったとしています。つまり「鏡」「剣」の二つだったものに、「勾玉」を追加したのは天武天皇であると。

理由は記紀の編纂を命じたのは天武天皇であるから。

そして天武天皇が…
*鏡 → 天照大御神
*勾玉 → 月讀命
*剣 → 建速須佐之男命
「三種神器」に「三貴子」をそれぞれ宛てがったと。

ここまでは氏の説。

ところが、そもそも「三種神器」はそれまでから「三種」であったというのが現在の定説。
それは次の持統天皇の段でも、「二種」しか記されていないことからも裏付けが可能。


そこで氏の説を歪めて(正しくして)直そうと試みたのが、以下のもの。これは私個人の説です。

「三貴子」というものを創出したのは天武天皇。もちろん天照大御神や建速須佐之男命は存在したが、姉弟の関係にしたのは天武天皇。そして月讀命も創出し合わせて「三貴子」に。

その「三貴子」を「三種神器」に宛てがったのだろうと。もちろん元より「三種神器」であったことと思います。

このような簡単な理論でいいのではないかと思うのです。


天照大御神は神武天皇崇神天皇の前の代までの皇祖神。つまり初代から第9代開化までの皇祖神であったと。そして崇神天皇の御代に政権交代がなされた…。

(「欠史八代」云々はここでは触れません)

その皇祖神 天照大御神というのは、「日(太陽神)を祀る巫女(棚機つ女)」であったと考えます。ところが天武天皇により最高神(太陽神)に昇華、「祀る側」から「祀られる側」へと変えられたと。

天照大御神が「太陽祭祀」を行う際の究極の神器「鏡」を、天照大御神そのものと変えてしまったと。

そして強大な出雲国の君主である建速須佐之男命を「剣」に宛て…月讀命という神を創出し「勾玉」に宛てた。

これで何とかかんとか、
「三種神器」に「三貴子」を宛てることに成功!



【月讀命の創出をあらためて…】

氏は天照大御神は元々饒速日命であった…豊受大神宮(外宮)は元々月讀命を祀る神社であった…などと愚説を並べていますが、

絶対に有り得ないことなので、
恐縮ながら無視して進めていきます。


天武天皇は稀代の天才であったということは、よく知られるところ。

(ひょっとしたら本当は持統天皇が裏で操っていて、本当の天才は妻の持統天皇であった可能性も…。)

特に陰陽道に通じ…天文学や暦学にも詳しく…

そうなのです!
「月」を「讀む」のは天武天皇なのです!

これに気づかされたのがこの書。
もう目から鱗でした!戸矢学氏に感謝!


よくよく考えれば当然のこと。

月という何とも謎めいた存在への信仰は太古からあったのでしょうが、「月」を「讀む」などという天文学・暦学がもたらされたのは明らかに飛鳥時代以降のこと。またそれを完全に習熟し、「月讀み」を行ったのは天武天皇以外に考えられない!(妻の持統天皇の可能性もあるが…)

つまり「月讀命=天武天皇」と言っても差し支えない!そして「月讀命=天武天皇=勾玉」という図式になるのです。


初めて月讀宮を参拝した17~8年前。

月讀命という謎めいた神を祀る社ということで期待を抱き参拝に上がったものの、なぜか期待外れの感を。

それもそのはず、
ここには本当の御神体も無ければ、形式だけのお社(…と言っては失礼か)。


さて…お話はここでおしまい!
…とはならないのです。

戸矢学氏はさらに重大な説を追加しています。

当時は飛鳥時代以降のことなどまったく感心がなく知らなかったので、そちらも「目から鱗!」となったのです。



《続く》