◆ 郡山城と城下町 (~2) 令和三年1/27



途中から城下町に入り
神社参拝のみを行ったのが1/19の記事


この日は昼から(夜勤明け)
ガッツリと城下町に入りました。

この日は城下町をめぐるという
明確な意思を持って。

もちろん神社参拝が中心であり
敬神活動を疎かにしているわけではなく…。






外堀の内側の町並みを
「箱本十三町」というようです。

概要は上の案内板にて。






「郡山城」は秀長が入城する前は
筒井順慶らが居城しています。


城下町が形成され始めたのが小田切春次の時代、続いて筒井順慶が広げていき、

そして本格的な城下町が造り上げられたのが秀長の時代のようです。






まずは「車町」の宮内社から。


昭和に奉納されたものとはいえ
城下町らしい扁額。



「車町」は秀長入城以降に形成された「枝町」の一つ。城下町はどんどん東側へ、南側へ広がっていったようです。



宇迦之御魂神を祀るいわゆる稲荷社。

とある資料では火伏せの神として祀られたのではないかとしているのですが…

よくよく調べると城下町内に
秋葉社や愛宕社など火伏せの神を祀る社が見当たらない。

これほど密集した城下町内では異常なことで
その説は正しいのかもしれません。






昔は無かった金魚の水槽が至るところに。

「金魚の町」ならでは。



水質管理が大変らしいです。

ホントはちょっと汚れてるくらいが
金魚にはちょうどいいそうですが…。






北へ向かいます。

「紺屋川」が道の真ん中を走る「紺屋町」へ。



「紺屋川」に落ちたことがあれば
地元民である…と… →→→






→→→ 「箱本館 紺屋」さんにおられた
城下町ボランティアガイドの方の

ご挨拶代わり。



あまりウケなかったことは
ここだけのナイショということで(笑)



資料館として無料開放されておられ、
当日のようにボランティアガイドさんがおられることも。

(現在はコロナ禍で、大阪在住の方が来られてもガイドは断っているそうです)






「箱本館 紺屋」さんは
別途記事を上げる予定です。

話が盛り上がり
2時間以上こちらで滞在してしまった~


参拝時間を削ってまでも
たくさんの情報を頂きました。

逆にこちらからは神社の情報を提供。
もちろん城下町内の神社の情報ではなく、一般的な神社の情報ですが。






「藍染め」を生業とする町人が
この「紺屋町」の一角に軒を連ねていたようです。



城下町の面白さに気付いた一つが
上下水道の完璧な整備。

美しい上水道は表に、
汚れた下水道は裏側にひっそりと。


町を横切る「紺屋川」はもちろん上水道。

かつては金魚も泳いでいたそうですが
例え落ちても濡れるだけの水質の良さ。






北隣の町は「豆腐町」。

もう少し北に行けば「火の見櫓」があるなど
「水」に関わりのあるものがこの辺りに計画的に配置されたようです。






「箱本館 紺屋」さんを後にした時には
既に夕方近く。

一日が終わったくらいの満足感があるものの
残り時間で参拝活動を。



まずは「茶町」に鎮座する
茶町天満宮へ。






続いて「野垣内町」に鎮座する
春日若宮神社へ。


こちらは外堀の東側を出たすぐ。

ちょうど外堀の場所で大規模な工事が行われていたので、史跡化されるのかも。






とぼとぼと歩いて
「観音寺町」の八幡神社へ。

こちらも外堀の外側。


当時から田畑だった地。
寂れ具合が…。







もうすぐ5時!急がねば!

「魚町」にあったという
薬園八幡神社の旧社地へ。

現在は御旅所となっています。



というか…民家の敷地内?



決して悪いことしてるわけではなく…
不法侵入で訴えられんやろか…

冷や冷やものの参拝。



城下町という形になったのは室町後期ですが、
奈良時代に勧請創建された当社と、及び周辺の「薬園」が城下町の下地となっています。






「火の見櫓」をパシャリと。

かなりの高さがあります。






都市計画さえちゃんとしていれば…。


民家は2階建てまでとか。
ビル等の建築は禁止とか。

「奈良町」のように通りの窓は格子のみとか、壁は木または漆喰のみとか。

もう手遅れですが。






「塩町」の恵美須神社へも。


祭礼時以外は閉じてんのかな?

入れな~い!
微かに見えるご本殿を遥拝のみ。




もう1社行きたかったけどタイムアップ。

また近々城下町へ足を運ぶと思います。
城郭へもいずれ行かねば!