大庭神社
伊勢国多気郡
三重県多気郡明和町佐田字北出611
(駐車は覚えていません)
■祭神
佐田大神
明和町の「斎宮跡」より北200mほどの平地に鎮座する社。
◎「神社明細帳」によると、かつて八王子大庭神社と称されていたものを明治五年に大庭神社に改めたとされます。そして「大庭」というのは「饗庭」からの転訛であるとか。「饗庭」は「あえば」または「あいば」でしょうか。
◎社伝によると、天平七年に全国で疫病が流行したために「齊戒道饗」の祭祀を行うようにと勅され、この「道饗」の祭場が「饗庭」と名付けられたとあります。
◎都では「道饗祭(ちあえのまつり)」という、悪霊侵入を防ぐために八衢比古神・八衢比売神・久那斗神を祀るものがあります。これは疫病の流行の際には全国でも行われたようで、確かに天平七年と九年には疱瘡が流行しています。当社創建は以上に基づくものと思われます。
そしてその疫神が、陰陽家の祀る八王子神に訛伝したとしているのは三重県神社庁。これはおそらく陰陽家の祀る牛頭天王がスサノオ神となり、さらに天照大神との誓約により生まれた八王子神に転じたとみるべきでしょうか。
◎佐田大神は「新撰姓氏録」に、「左京 皇別 池田朝臣 豊城入彦命十世孫佐太公之後也」また「左京 皇別 上毛野坂本朝臣 豊城入彦命十世孫佐太公之後也」とみられる「佐太公」ではないかとされます。
豊城入彦命は崇神天皇の皇子。同母弟に活目尊(垂仁天皇)がおり、東国平定に向かったとされています。
※写真は2018年5月撮影のものです。
