(忍熊皇子社)



【古事記神話】香坂王・忍熊王の反乱 (~その1)


◎香坂王(麛坂王、=カゴサカノミコ)と忍熊王(押熊王)が起こした神功皇后に対する反乱。記紀ともに記されますが記の方を取り上げます(記述はほぼ同内容)。


ここに息長帯日売命 倭に還り上がります時 人の心疑はしきによりて 喪船を一つ具へて御子をその船に載せて先づ「御子は既に崩りましぬ」と言ひ漏らさしめ給ひき

【補足】
場面は皇后の三韓征伐後の凱旋時。謀叛を企てている者がいないかの確認を行います。その方法とは、御子(応神天皇)を喪船に載せて「既に崩御した」た言い触らせるというもの。


かく上がり幸す時 香坂王忍熊王聞きて待ち取らむと思ひて 斗賀野に進み出でてうけひ獦をしき ここに香坂王 歴木に騰り坐すに ここに大きなる怒り猪出でてその歴木を掘りて 即ち其の香坂王を咋ひ食みき

【補足】
その「罠」にかかったのは香坂王と忍熊王の兄弟。仲哀天皇の皇子であり、本来は最有力の皇位継承者であったはず。ところが神功皇后の活躍により、誉田別命(後の応神天皇)に皇位を奪われるのではないかという懸念が生じます。勝者の歴史書なので反乱(謀叛)などと記されますが、香坂王・忍熊王側からすれば、神功皇后&誉田別皇子に反乱(謀叛)を起こされ皇位を奪われたとなります。
「斗賀野」とは摂津国の地名かと思います。また「うけひ獦」とありますが、狩によって占ったという意味かと思います。
そして香坂王はなぜか歴木(クヌギ)に登り、猪に食い殺されました。殺されたというより崩御というべきでしょうか。


其の弟 忍熊王はその態を畏まずて軍を起こして待ち迎へし時 喪船に赴きて空船を攻めむとしきここにその喪船より軍を下ろして相戦ひき 

【補足】
忍熊王の方は「態」(うけひの結果)を恐れず進軍します。


(~その2)へ続く》