誉田八幡宮
(こんだはちまんぐう)


河内国志紀郡
大阪府羽曳野市誉田3-2-8
(境内に駐車可)

■延喜式神名帳
[境内摂社 当宗神社] 当宗神社 三座 並大 月次新嘗の比定社
※当宗神社は別途記事を上げます

■旧社格
府社

■祭神
誉田別命
帯中彦命
息長足姫命
[相殿] 住吉大神 八后神


応神天皇陵(誉田御廟山古墳)の後円部の先、南隣に鎮座する社。社伝では「最古の八幡宮」としています。
創建は欽明天皇二十年(559年)に、任那の復興を目指した天皇が御陵前に神廟を設けたのが始めであると、「誉田宗庿縁起絵巻」(重要文化財、足利義教奉納)に記されます。また後円部の頂に社殿が造営されたとも。「河内名所図絵」(1801年刊、下部写真)には、頂に御堂が、麓に社殿が描かれています。この創建時に、歴代天皇は一代に一度は当宮に行幸すべきであると定められたようです。
確かに紀には欽明天皇が任那復興に腐心した様子が事細かに記され、大半がそれに関する記述。また欽明天皇も系図を辿れば応神天皇に行き着くことになります。当宮に関しての直接の記述は無いものの、この創建伝は史実なのかもしれません。
なお上記の「御陵前に神廟を設けた」というのは、現存する「放生橋」(下部写真)のまださらに向こう側。「放生橋」から向こうは侵入禁止となっています。現社殿は第70代後冷泉天皇(1045~1068年)の御代に遷座されたようです。
秋の大祭では御輿が放生橋を越えて、後円部頂の御堂まで渡御するのが古くからの慣わしであるようです。

※境内摂社 当宗神社は後ほど記事UPします。





境内社

「放生橋」と応神天皇陵。


「河内名所図絵」