☆紫香楽宮跡 宮町地区


近江国甲賀郡
滋賀県甲賀市信楽町宮町
(元学校のグラウンドであったような公民館と資料掲示がなされた建物があり、停めて大丈夫かと思います)



紫香楽宮跡は
「内裏野地区」「宮町地区」「新宮神社地区」「鍛治屋地区」など、広範囲に渡る複数の地区から構成されます。

当記事はそのうちの「宮町地区」。
宮殿跡とされ、こちらが紫香楽宮の中心地。

100mを超える長殿や脇殿の他、大型建造物が2棟あったとされます。

国内の銅をかき集め、あの大仏を造らせたほどの天皇ですから
これほどのものになるのかと。


恭仁京、難波宮、そして紫香楽宮、最終的に平城京に出戻りと頻繁に遷都を繰り返しましたが、
いずれも同規模であったかと。

相次ぐ要職(藤原四兄弟など)の病死、長屋王の変、藤原広嗣の乱、国内天然痘の大流行、災害の多発と、荒れに荒れた時代。

「天平」とは真逆の時代でした。


当地周辺の神社や磐座の分布を調べると
いわゆる「レイ・ライン」が浮かび上がってきました。

今後さらに追究していこうかと思っています。

現時点では甚だ不正確なものであり、
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現在は地下保存ということになっているようです。