☆禰宜島
紀伊国牟婁郡
三重県南牟婁郡紀宝町神内
(詳細住所不明)
※紀宝バイパス新宮方面よりトンネルを抜け「飯盛西」交差点を左折、県道141号線(オレンジロード)と合流するちょうど中間辺りに小さな案内板が有り左折すぐ
形状からみて塚(墳墓)なのかもしれません。
その禰宜姫が託宣を授かっていたのは
いつの時代のことかは分かっていません。
内容からみて姫は原始的なシャーマンであったかのように思われますが、名前は「禰宜」。
神職として確立した「禰宜」ではなく
その確立以前の、ひたすら神の託宣を授かる者であったのでしょうか。
つまり禰宜=シャーマン。
日本には「巫女」という言葉もあるのですが。
村人たちは禰宜姫の託宣に従い
農をしたり猟をしたりと生活を営んでいたと考えられます。
長閑な農村地帯とはいえ、それほど偏狭地とも思えない「神内(こうのうち)」。
このような伝承が残ること自体が
歴史的に貴重な地であると思います。