☆神武天皇聖蹟 菟田穿邑顕彰碑
(うだうがちのむら)


大和国宇陀郡
奈良県宇陀市菟田野町宇賀志221
(麓に路駐しました)


宇陀「宇賀志(うかし)」の農村内、丘陵上にあります。

熊野の山々を越え宇陀の「下県(しものこおり)」に進んだ神武軍、
八咫烏の道案内、道臣命の先導がありました。

この「下県」を「宇賀志」と名付けたとされます。

そしていよいよ大和入り。

ここで強敵、兄猾・弟猾(えうかし・おうかし)と対峙するのですが。

敵名は「うかし」、地名も「うかし」と「うがち」。
熊野の山々を穿つ(うがつ)ように進んで来たとされています。

「穿つ」→掘るように。突き抜けるように。

まさかトンネルを掘ったということはないでしょうから、
樹叢を突き抜けるように…といったイメージでしょうか。

この間の記述は薄いものの
想像を絶する大変さだったことかと。

「穿」という言葉が使われた所以かと思います。

ところでこの地になぜ聖蹟顕彰碑が建てられたのか。

地理的におそらく最大の難所を乗り越え
軍事的におそらく最大の難敵との戦を控え
といったところでしょうか。

碑文には
「神武天皇戊午年頭八咫烏ノ郷導ニ依リ道臣命ヲ皇軍ノ将トシテ菟田穿邑ニ至リ給ヘリ聖蹟ハ此ノ地方ナルベシ」

「此ノ地方」ということから穿邑(宇賀志)一帯のことを指していると思います。
ということはこの聖蹟碑はこの辺りならどこでも良かったということに。

たまたま空いていた土地、
あるいは政治的なものが働いた、
そんなところでしょうか。

長髄彦軍、兄猾・弟猾との激戦については
別に記事を起こしたいと思います。