☆水泥南古墳 (水泥蓮華文石棺古墳)
(みどろれんげもんせっかんこふん)


大和国葛上郡
奈良県御所市古瀬
(詳細住所不明、西隣の家は「古瀬900」)
(車が1台停められるほどのスペース有)

■形状
円墳
■全長
25m
■築造時期
7世紀初頭(古墳時代終末期)
■埋葬施設
家型石棺2基
玄室棺(初葬棺)・羨道棺(追葬棺)
羨道棺の方の前後の突起に「蓮華文」が彫り込まれている
■出土品
金銅製耳環、高坏、須恵器など
■周辺の状況
「巨勢谷」と呼ばれる南北5kmの独立丘陵上
■被葬者
巨勢氏の有力者


古墳記事が一気に増えてしまいましたが…。

水泥北古墳(水泥塚穴古墳)と水泥南古墳(水泥蓮華文石棺古墳)の
2古墳をセットで「水泥古墳」と呼ぶようです。

南北200mほどの距離、
北古墳の方は民家の敷地内にあるらしく見学は断念。

追葬棺がかなりの有力者のもののようで、
初葬棺にひけを取らないとか。

巨勢谷の古墳にはいくつか見られるそうです。
偉大な先祖とともに、さぞかし安らかに眠ることができる…などと古墳素人は思うのです。

「蓮華文」の彫刻があるらしく
被葬者は仏教推進派であったと考えられているようです。

周辺は巨勢谷の中の小さな一角の集落。
周辺のお掃除などとても大事になされておられるように感じました。

この方々も巨勢氏の血を受け継いでおられるのでしょうか。


駐車スペースに、わざわざベンチまで設置しておられる用意周到ぶり。元々はお隣のどちらかの敷地だったかと思いますが、国に寄付なされたのでしょうか。