沼名前神社
(ぬなくまじんじゃ)


備後国沼隈郡
広島県福山市鞆町後地1225
(境内に駐車できそうであるが未確認、観光用Pからは徒歩10分ほど)

■延喜式神名帳
沼名前神社の比定社

■社格等
[旧社格] 国幣小社
[現在] 別表神社

■祭神
大綿津見命
須佐之男命


数々の歴史舞台となり風光明媚な「鞆の浦」に鎮座する社。境内は非常に大きく山の中腹にあり、「鞆の浦」一帯を見下ろせる地で、シンボル的な役割も持っていたように思います。
当社は渡守神社(わたすじんじゃ)と鞆祇園宮(ともぎおんのみや)が明治に合祀してできた社。式内社 沼名前神社は渡守神社のことであるとしています。その合祀時に式内社と同名に改称されました。
現社地に鎮座していたのは鞆祇園宮。渡守神社は長年所在不明となっていたのを、江戸時代前後に鞆祇園宮の境内社として復興させています。当時は船玉神を祀っていたとされます。現在の渡守神社御旅所、もしくはその周辺ではないかと思います。現在は渡守社として沼名前神社の境内に鎮座、少々複雑な歴史を歩んできたと言えます。
渡守神社は神功皇后が三韓征伐に赴く往路で当地に寄港、綿津見大神を霊石に祀ったのが始まりと伝えられています。また復路で妹の淀媛を祭主として残したとも。その霊石は渡守神社御旅所にて、そして淀媛は淀媛神社にて奉斎されています。
当地「鞆の浦」は数々の歴史を彩ってきた地、国幣小社に列したのはそれらも踏まえてのことでしょうか。境内には立派な能舞台が残され、かつては秀吉が伏見城内で愛用していたものが、当社境内に巡ってきたものとか。








渡守社

藩主寄進の灯籠。
能舞台
中央やや右に見える数十体の丸石は「力石」。江戸時代の漁師たちが力比べをしたものとか。