熊野三所大神社


紀伊国牟婁郡
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮350
(隣が「渚の森公園」となっており大きな駐車場有)

■旧社格
村社

■祭神
夫須美大神
家津美御子大神
速玉大神


海に面した那智駅のすぐ側に鎮座する社。かつては「那智ノ浜」と称されていた浜辺。創建、由緒ともに謎に包まれ、古来よりそれらが確定していません。
◎当社の出色の一つは、境内社に丹敷戸畔(ニシキトベ)が祀られていること。当地の土着の部族の酋長で、神武東征軍に抵抗した賊軍とされています。その終焉の地はいくつか候補がありますが、おそらく当地周辺のことであり、その上に祀られたのが当社であるかと思っています。
◎隣に補陀落寺が建てられ信仰の中心はそちらに移ったものの、「丹敷戸畔の終焉の地」といういわゆる「聖地」から旅立つ信仰が始まった可能性もあると考えています。
◎社名は昭和62年に改称される前は「大神社」。いくつかの古書はご祭神を天照皇大神、配祀を彦火火出見尊・大山祇命の三柱としています。ところが当社所蔵の三神像は熊野三神かと考えられ、上記の三柱は後の時代に祭神変えが行われたものかと。原初は丹敷戸畔、後に熊野三神へと変わり、さらに天照皇大神以下の三柱に祭神変え、そして昭和に現在の熊野三神に戻されたのではないでしょうか。
◎創建は欽明天皇の御代(563年)とするものがいくつかあるようです。その頃は祭祀場のみで、中世の頃に修験者たちにより「浜の宮王子社」とされてしまいます。丹敷戸畔から熊野三神に祭神変えが行われたのはこの時かもしれません。神像などという、仏教や修験要素の強いものが据えられてしまうことになったことから。
◎境内には「神武天皇頓宮跡」石碑、その前には熊野によく見られる「丸石」、さらにその前にも岩が据えられています。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。






境内社 丹敷戸畔社


「神武天皇頓宮跡」石碑

案内板には丸石二体と書かれていますが、なぜか三体座しています。


「浜の宮王子社」跡