☆一之矢塚

大和国添下郡
奈良県大和郡山市新町(詳細住所不明)
(アクセスやPは下部写真参照)


☆二之矢塚

大和国添下郡
奈良県大和郡山市矢田町字東良965(矢田坐久志玉比古神社の境内)


☆三之矢塚

大和国添下郡
奈良県大和郡山市矢田町(詳細住所不明)
(アクセスやPは下部写真参照)



約10年ぶりにこれらの史跡を訪れました。

新たに見えてくるもの
新たに感じるもの
そんなものがあることを期待しつつ。



史跡の内容は…

饒速日神が天神から「天羽々矢」を授かり降臨、自らの拠点(宮居)を定めるため3本放ちました。

その射落ちた3箇所が伝承として残っています。

もちろん現実ではなく「神話」、
「作り話」です。


重要なのは1800年~2000の時を経て今もなお
それが語り継がれていること。

そして饒速日神が宮居した重要な候補地になること。


饒速日神に対する祭祀跡は
残念ながら悉く隠され消されています。

奉斎されていた神社ですら
住吉神などに祭神替えを行い、ひっそりと存命を図りました。


まだまだ秘された伝承地などがあると思われ、
古代ロマンを感じずにはいられません。


なお「天羽々矢」は天孫降臨の際に登場します。

二番目に降臨した(失敗に終わる)天若比古神に授けられたもの。

下照姫と結ばれ平定を怠ったため、
高天原から「雉の鳴女」が遣わされますが、それをを射殺し…その矢は高天原へ。

今度は高天原から天若日子神目掛けて射ると命中、亡くなります。
※詳細はいずれ記事にします。



一之矢塚の近くに、矢田坐久志玉比古神社の御旅所である主人神社が鎮座することから

一之矢塚から三之矢塚まで
往古は境内であったように思います。



■以下3枚は「一之矢塚」伝承地

「矢田郵便局」のある交差点を東に50m、小さな川沿いの道が現れます。
そのまま200m余り進んだところがこの写真(方角は南東方向)。空いたところに車を停めて、右下に下っていきます。その奥に見えるこんもりしたところが伝承地。

久しぶりに訪れると、すでに場所を忘れており迷いました。


■この一枚は「二之矢塚」伝承地
こちらは矢田坐久志玉比古神社の境内、拝殿の前の方にあります。正確な落ちた場所はご本殿であるとか。


■以下3枚は「三之矢塚」伝承地

矢田坐久志玉比古神社の西側を南北に走る道路があり、北へ道なりに300mほど進むと右折できる道が現れます。
100mほど進むと「北矢田スポーツ会館」という小さな公民館のような建物があり、そこを20mほど過ぎて右手(東側)で撮ったのがこの写真。


「邪馬台国想定地」と。これはまた大きく出たもんです…。