高田神社 (飛騨市古川町)
(たかたじんじゃ)


飛騨国荒城郡
岐阜県飛騨市古川町太江神垣内2669
(P有)

■延喜式神名帳
高田神社の論社

■旧社格
郷社

■祭神
高魂命
[合祀] 白山比咩命 建御名方命 賀茂別雷命 天津彦根命


式内社 高田神社の比定を巡り、白山神社(当社旧社名)と貴船神社(同じく古川町)とで論争が繰り広げられたとか。江戸時代には一旦当社に比定されるも反対も根強く、明治に入りようやく白山神社から高田神社に改称。現在でも完全な決着には至っていないようです。
当社の周囲は遺跡の宝庫。付近を車で走っていても、そういった感覚を肌で感じるほど。中でも「御番屋敷遺跡」(当社案内は「五番屋敷遺跡」と誤植)は縄文前・中・後・晩期に渡るもの。特に中期以降(今から5000年ほど前)の住居跡やおびただしい量の土器片が発掘されています。
また当社を中心に環状に配置される21基の古墳、50mほど離れた湿田からは祭祀用と見られる古墳時代土器も発掘。
さらに白鳳期の寺院の古瓦も発掘されるなど、上古から人が住み着き、祭祀が連綿と続けられていました。
創建については、敏達天皇の御代(五七七年)に当地に「日奉部」が置かれたことが三代実録に見え、その伴造(とものみやつこ)が祖神である高魂命(高皇産霊神)を祀ったものとしています。
以上を見る限り当社が式内社である要素は十分かと。なお白山神社となったのは、飛騨国に白山信仰が及ぶ近世以降であると考えられています。







周囲の古墳を可能な限り散策してみました。