『私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書く
だけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、
その方が私にとって自然だからである。』


というのが大好きな小説のイントロ。


話は飛びますが、、。


小生にはバイオロジカルな意味ではない父親が私には2人おりまして、
さらに非バイオロジカルな兄も2人おります。


それぞれ、61、56、50、41と年齢層バラバラ(笑)


それぞれ天秤にかけることはかなわない存在ではあるのですが、人は
もちろんそれぞれの切り口で物を見たり、それぞれの事業を行うもの。


誰が何について良い悪いなどと、簡単な白黒のような話題からは少し
離れた人の信用について少し考えさせられる事もある訳です。


『その人が今何をやっているか等よりも、その人のちょっとした癖や行い
を皆凄く観ているし、かなり大きな判断材料として利用される。』


優れた内容を幾らプレゼンしようとも、上記について満足のゆく感想を
抱かせなくては人は動かないもの。


それは、ドライでロジカルな思考をする人にとってみればちょっとまどろっこ
しいものかもしれません。


『あなたに対してであれば2でも3でも喜んで出す。』
『人の信用を金銭に変換する事。』


良くある話ですが実際に当事者となると考えさせられるもの。


なぜ皆自分に対してそんなにエネルギーを割いてくれるのかも考えなく
てはなりませんし、筋論にそった形で良い関係を継続させる必要もあります。


皆、リスクがある事など百も承知。
だから信用とリスクの見積もり。


なんとなく良い経験になっているかもです。