カンボジア旅行記 ⑦ シェムリアップ最終日 | yuruyurumamaのひとりごと~ふたたび

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夫婦二人暮らし~年齢を重ねてきて見えてき始めたことがあります
日々の中でそんな発見があったら書き残していきたいと思っています

 

昨日は四か月ぶりの歯科チェック。

 

磨き方を褒められ大満足。

 

電動歯ブラシのお陰です。

 

クローバー クローバー クローバー クローバー クローバー

 

さて、カンボジア旅行記もこれで最終回です。

 

2月27日。

 

カンボジア滞在四日目。

 

この日も朝から観光です。

 

午前

「バンテアイ・スレイ遺跡」

「アキ・ラ地雷博物館」

「高床式民家訪問」

 

午後

「キリングフィールド」

「ワットタマイ観光」

 

 

まずは「バンテアイ・スレイ遺跡」ですが

この日は気温も高く

連日の観光でわたしも少々疲れ気味。

 

それでも見事な装飾群には目を奪われました。

 

 

赤土で作られたこの寺院は

アンコールワット遺跡群の中でも

その彫刻が見事なことで有名だそうです。

 

 

門をくぐって中へ。

 

左の花の彫刻にはポルポト軍による

銃撃の跡が残されていました。

 

 

ここでタバコやお菓子など

いろいろなものを賭けて

銃の腕前を競っていたそうです。

 

この花の真ん中に銃痕が見えます。

 

 

 

中の彫刻には圧倒されました。

 

右差しバイデアイ・スレイ遺跡

 

 

往復の道のわきには

このような小屋があって

ここで楽器が奏でられています。

 

よく見ると皆さん何らかの障害を負った方々です。

 

 

ガイドさんの話では地雷によるものだそうです。

 

次に向かったのはその「地雷博物館」。

 

 

アキ・ラさんというかたが

個人で作ったもので

中には無数の爆弾や地雷が展示されていました。

 

 

 

中央に地雷が見えています。

 

このような地雷がまだまだ無数に残っていて

未だ小さな子供が被害にあっているとか。

 

この地雷撤去には日本人が多くかかわっていて

多くのカンボジアの人々から尊敬を集めているそうです。

 

 

次は興味深かった「高床式民家」見学。

 

 

ここの住人の方の許可を得ているとはいえ

こんなプライベートな所までずかずかと

入って行っていいのかと思いましたが

それは杞憂に終わりました。

 

 

どこも全てがオープン♪

 

 

お洗濯ものだってひらひらしています。

 

 

食器もこのようなプラスチック製の物も多く

おしゃれな食器などどこにもありませんでした。

 

 

カンボジアの多くの人々はまだまだ貧困で

特に田舎に行くと

生活レベルはもっと低くなるそうです。

 

バスで移動して一旦ホテルへ。

 

夫は体調をくずしてこの日も

部屋で留守番ということに・・。

 

あとで聞くと、経験したことのない筋肉痛で

ベッドに横たわったままだったそうです。

 

その間、わたしたちは豪華なランチを

いただいていました。

 

 

高級レストランだけあって

この日のこのお料理が

カンボジア滞在中一番の美味でした。

 

次がいよいよ「キリングフィールド」です。

 

映画にもなって昔観た記憶はありますが

内容はうろ覚えですので

もう一度観てみたいと思っています。

 

 

(あらすじ)

 70年代、クメール・ルージュによる

内乱渦巻くカンボジアを舞台に

アメリカ人記者と現地人助手の絆を力強く描く。

 

大量虐殺の現場はここに限らず

あちこちに点在しているようです。

 

 

内乱が終わってからも

掘っても掘っても次から次と人骨が現れ

とても人が住めないというので

これらの地には寺院が建立されたそうです。

 

中に展示されていたのは

生き残りの人の証言から描かれた絵です。

 

 

人はこれほど残虐になれるものなのか・・。

 

戦争がいかに愚劣で残酷で

人間を狂気に駆り立てるものなのか・・。

 

写真の彼らは戦犯です。

 

 

ほとんどがもう亡くなっています。

 

頭蓋骨が塔に収められていました。

 

 

この寺院も「政争の具」に使われていると

通訳のトムソンさんが小さな声で

話していました。

 

わたしたちが通っても

お昼寝中の少年と犬は夢の中でした。

 

 

この日最後の場所はお土産さん。

 

 

日本人が経営しているので

適正価格です、ということで

安心してお土産を買いました。

 

 

シェムリアップに着陸するときに見えた観覧車が

後ろに見えていますが

これ、なんと!北九州市の

スペースワールドにあったもの。

 

こんなところで余生を送っていたのです。

 

 

一旦ホテルに戻って

空港までの数時間を過ごしましたが

夫は絶不調。

 

熱もあってこの状態で

ハノイまでの乗り継ぎが

耐えられるかどうか・・。

 

薬でなんとかしのぎながら

移動は全て車いすをお願いしました。

 

 

ラウンジに着いた頃には少し落ち着きましたが

まだまだその先、時間は長いです。

 

シェムリアップ最終日の夕陽を眺めながら

福岡まで無事戻れるかと不安でした。

 

 

飛行機までも車いすでの移動です。

 

 

やっと飛び立つことができました。

 

 

眼下にあの観覧車が見えました。

 

午後8時ごろの機内食です。

 

 

ハノイに到着してからも

車いすを引き継いでもらいました。

 

 

階段が降りられないので

杖をついたアメリカ人の男性のお仲間と一緒に

カートで下ろしてもらいました。

 

 

彼らと地上職の人とのやりとりが

日本では考えられないほどの

怒号でのやり取りです爆  笑

 

もう少しお客さんのことを考えては?と思うほど

関係なくお互い怒鳴り合っていました。

 

それを聞いていた四人のアメリカ人ご夫婦。

 

とうとうたまらず爆笑!

 

わたし達もつられて大爆笑。

 

最後はバイバイ!と言って別れました。

 

こんな陽気なアメリカ人が大好きです♪

 

 

通関も別の窓口でしていただき

その点はとても良かったです。

 

乗り継ぎまでの時間ここで四時間待機です。

 

 

シンガポール行きの便が出発してやっと

このような状態になりましたが

人であふれ返っていました。

 

 

開いていたお店も午前零時を過ぎて

シャッターを下ろしてしまいました。

 

 

ツアーコンダクターさんから

良かったらビジネスクラスに変更されては?

とアドバイスをいただきお願いしました。

 

そこから彼が座席の確保に

奔走してくださいました。

 

「並びの席が確保できました」

と言われたときにはホッとしました。

 

 

高齢の会長さんとそのお孫さん

そして我々夫婦だけ

グループの他の方たちとは離れて座りました。

 

 

現地時間の午前2時

離陸です。

 

 

お薬で熱も下がり始め

幸い夫は食欲だけはあったので

心配は薄れてきました。

 

 

わたしは最後の

アジアンフードをいただきました。

 

 

食後は消灯され

ここから四時間のフライトです。

 

 

着陸2時間前

空が白々と明け始めました。

 

 

この旅行は太陽と共にあったようです。

 

 

博多湾上空。

 

 

福岡ドームやタワーが見え始めました。

 

福岡空港に定刻通りに着陸し

ここからも車いすを使わせていただきました。

 

通関をすませ、大きなバッグを受け取って

皆さんにご挨拶して別れました。

 

タクシーで自宅へ・・。

 

 

疲れ果てて翌日は・・

 

 

 

以上!

4泊5日

「カンボジア旅行記」でした。

 

長々と読んでいただき

誠にありがとうございました♪