長良川ニジマス流出騒動について色々思うところがあり覚書をしておこうと思った次第です。

 

生まれも育ちも岐阜市民の僕から見た備忘録。

 

地元でも少し話題になっていましたが「よりによって」という色んな意味を込めた反応が多かったように思います。

 

1,コクチバス駆除で外来魚拡大防止を宣言したタイミング

2,鵜飼乗り場である点、伝統的場所

3,鵜飼乗り場である点その2、頻繁に氾濫する場所(必ず流出する。)

4,清流長良川にニジマス

 

個人的には上記も踏まえた上でもっと他にやる事があるやろ・・・というのが感想。

そして、事件は起きる。

Xでも投稿しましたが19日夜、これは溢れただろうな。

どうなったんだろう、気にしていると21日に岐阜新聞がWebにて掲載、これを機にSNSで炎上騒動。

翌日には反響を受けて紙面掲載、全国地上波で事態が報道され、岐阜の不名誉が全国へ・・・。

 

想定外があるとすれば世間がここまで強い関心を示すとは思っていたなかった事。

本当に時代が変わった。

 

長良川に愛着や敬意を持ってくれている人が多くいた嬉しさ、さして興味もないのに安全なところから石を投げる趣味の人達を見てウッっとなったり、感情的になっている人を多く見て色々情緒が大変。

 

結果的に親分が再開しないとの見解を示した為、早い幕引きとなった。

 

ニジマス釣り場、再開を断念 岐阜市の長良川、残った魚回収開始(岐阜新聞Web) - Yahoo!ニュース

 

「世界農業遺産の清流長良川の鮎を守るため、川に注目してもらおうと始めたことが、あだになった。鮎に影響はないが、外来種というと一緒にとらえられてしまい、誤解を招くのでやめた。反省すべきは反省したい」

 

親分のコメントに突っ込み処は多いが住民としては少し心当たりもあるので少し長良川とニジマスの歴史を振り返ってみたい。

 

本件でニジマスが漁業権魚種に設定された事も明らかとなったが、長良川水系では数十年単位で継続的にニジマスの放流が続けられている事実があるのでこのような見解になっていると思われます。

 

例を挙げれば、美濃市にある冬季限定の管理釣り場、月美ヶ原フィッシングセンター。

あとは昔から行われている長良川漁協主催のニジマス釣り大会がある。

 

今は懐かしい2008年僕は高校生で長良川支流の伊自良川で開催されるニジマス釣り大会に参加していた。

中学生になってから釣り具屋の張り紙で存在を知った。
最大サイズで順位を競って優勝者には釣具屋からの協賛で豪華景品がある。

餌釣り限定の大会で中学生以下の部で優勝もさせてもらい、親分から賞状と述べ竿の景品を受け取った。

 

退会終了後はルアー等他の釣り方も解放、当日は誰もが無料で釣りをでき、翌日からは雑魚料金という具合だった。

漁協の管内では釣れない渓流魚が釣れるだけあって毎年楽しみにしていた。

ただ、この2008年を最後に伊自良川での退会は突如終了。

翌年は釣具屋の張り紙もみられず、例年開催される4月下旬の週末は空しく場所取りのブルーシートやビニールテープだけが釣り場に設置、出番もなく残された。

同じ時期に岐阜市の三輪地域の農業用水で行われていたニジマス釣り大会も終了した。

今思うと外来種被害防止法が2005年に施行されているのでそういった関係で配慮されたのかもしれない。

 

それでも藍川橋付近のワンドやグランドホテルの前等場所を変えて子供限定で毎年行われていたとの話がある。

 

集客をどうやって行っていたかはわからないが、ニジマスが釣れるのでなんでだと思っていると後からあそこでこの前やったらしい。みたいな話が聞かれた。

張り紙がった頃は第丸●●回と二桁代の数字が並んでいた覚えがあるのでかなり歴史のある行事だったようだ。昔は長良川本流だったとの話もある。

 

そんな経緯もあり親分の「誤解」の見解、今までやってきたけど問題なかった。そういった意味かと思われる。

 

ニジマスを利用して子供達に釣りや自然との接点をという行事は結構行われてきたし、今回の騒動のコメントでも多くみられた。

 

では、このニジマス放流は本当にこども達の為になるのか。

当時子供だったぼくらに何を残したのか。少し考えた。

 

釣りとの接点、これに関しては「YES」だと思う。

釣り業界にとっては手軽に釣りをして楽しい思いをしてもらえる。実際、管理釣り場に連れて行って釣りにハマる人も多い。業界にとってはプラスになる。

 

では、自然や川との接点として考える。

これは内水面漁業に関心を持ってもらえるかという問いでもある。

これは「NO」だと思う。長良川漁協については。

 

 

そもそもニジマスはそこにいた魚ではなく当日、漁協が用意して放流した魚。

日常的に川に居る魚ではないからこれでは普段から川に関心を持つ必要はない。

 

この「日常」というキーワードが内水面での遊漁に関わり続ける人にとって重要なのではないかと思えてきた。

 

ニジマスを放流して釣らせる。これは世界中どこでも水さえあればできることである。水路でもプールでも、買ってくれば誰でもできる手軽なパーティー的な行事。

 

当時は同級生と4人でこのパーティーに参加していたが、4人の内、今でも釣りをしているのは僕を含めて2人。

もう1人とは今でも釣りに行くが海釣りしかしない。

他の二人は大人になってお金が使えるようになると他の遊びに走って戻ってこなくなってしまった。

手軽に楽しい遊びが他にあれば大衆がそちらに靡くのは当然である。

 


では、なぜ僕だけ川に残ったのか。

「川での釣りが生活の一部」になっていたというのが今思い浮かぶ結論だ。

4歳くらいから母にお願いしてガサガサに連れて行ってもらって、その後手段として釣りを選んだ。

 

学校が終わったら習い事や犬の散歩に行くように川に釣りにいった。

釣りができない時も水路や川を眺めてタモロコがアオミドロを突いてるだとか、カマツカが何匹いるか数えたりして毎日楽しかった。

 

雨が降れば藻が流れて綺麗になったし、中洲に砂が溜まって今年から草が生えてきたな。見慣れた風景の中でも時間の流れや変化を記憶し蓄積していった。

30年そこそこの人生だが僕にはこの土地と川と一緒に歩んできた時間と愛着がある。

最近、長良川に若いサツキマスアングラーが現れた。

記憶にある限り、僕以来の15年ぶりのチャリんこアングラーの出現だ。
彼に聞くとじいちゃんにシラハエの毛鉤釣りによく連れてきて貰ったらしい。

今の若い子には青物のジギングが流行っているらしいが彼はこうしてまた長良川に戻ってきてくれたのだ。

 

郡上や飛騨の人達との接点も増えてきた。

この辺りと比べると川と関わっている人たちの比率がまるで違う。

父ちゃんやじいちゃんが当たり前に魚を釣ってきて、食べて、今でもその流れが続いている。

自分達の川に愛着を持ち、誇りを持っている。

それに比べてこの岐阜市内の人達はどうだろう。

学校で習ったりして文化としては認識しているが骨身に染みるような体験は殆どの人達にはもう無いのかもしれない。

今、橋の上を歩いて川を除き込んでいる子供達がどれくらいいるだろうか?

ここにしかないものがある。それに気づいてもらえないだろうか。

 

今からでも遅くないだろうか。

自分なりに何かできないか、考えた末に思い立った事がある。

煙がの中には何があるのだろう。今から楽しみだ。