どうも、おばんでございます。

新年の挨拶と共に、

色んな気持ちに駆られておりまして、


「ブログ書かねば!」

みたいな衝動に駆られています。


とりあえず大晦日は、

念願の熱燗飲んだくれ。

もちろんお決まりのおでんセット。


幸せをかみ締め、

年越し前そばを楽しみ、

イカの塩辛に刻み海苔をちらし、

そこはいわき市出身らしく(←意味不)

海の幸の同窓会を楽しみました。








(こ汚くてごめんね⤴︎)



そして夜会は日付変わって29:00頃まで続き。


初夢も入り込む隙間もないような

睡眠(仮眠)を取って。


朝から友達と初詣へ。






ものすごい人だかり。

そうだよね。

一応コロナ明けてまだ1年経ってないもんね。

懐かしいゴミゴミを噛み締めながら


去年一年、ありがとうございました。

おかげさんでいい酒飲めました。

今年もよろしくお願いします。


のご挨拶をして。

おみくじ引いて(←なんと大吉)

甘酒飲んだど。


その後はみんなと別れて新年初2度寝。


あ、こっから本編ね。




寝てたらさ、

地震速報で一回起きてさ。


で、全然揺れねぇでやんの。

この部屋2階だからって焦って損したわ。


とか思いながら3度寝かましたのね。


夕方頃また起きて、

新年くらいいいべっつって、

くら寿司でたらふく食ってさ、

バイト先の風呂屋行ってととのってたのよ。


サウナのテレビ見て唖然としたよ。

呆れたね、自分に。


さっきの地震のニュースばっかり。

Twitterはそのことばかり。


震度7って聞いて、

東北んときよりすげぇじゃんてなって。


そんでね。

こっから本編の本編ね。


こういう時ね。

「福島県の生まれなんですー」

っていうと、必ず震災のこと聞かれるのね。


「大変だったでしょう」って。


東日本大震災の時、

僕は高校二年生の終わりの時だったんだけども。


そりゃもうね。

映画みたいな光景見ましたよ。


公園でバスケやってたんだけど

コートが目の前で割れたかんね。


マジの地割れですよ。


かと思ったらすぐ近くの石造りの蔵が

もうね、ゴジラ来た?

くらいの音で崩れてさ。


堤防の近くの公園だったんだけど、

堤防が動いたかんね。

⤴︎意味わかんなくない?


自分で言ってても意味わかんねぇわ。


一緒にバスケやってたメンバーには

中学生も居たしさ。


もう、まずこの子らを無事に返して、

親に連絡して

とりあえず無事に家に帰れっかな?


とか。

パニックに見えて、

結構冷静に色々考えるんだよね。

ああいう時って。


でね。

無事に家には着くんだけど、

水なんて出ないわけよ当然。


コンビニもどこも売り切れな訳ね。


もう、チャリンコで近所中の自販機巡って

小遣い全部使って水買ってかき集めてさ。


自分の飯くらい何とかしなきゃって

地元の友達と小学校の体育館いって

そこで配給のおにぎり食ってた。

(今思うとこれ⤴︎はあんまり良くなかったかな。

家に帰れない人もいたから、家に帰れるなら飯は家で食べるべきだった。)


でもなんか、長男だからって。

そんときは凄く家族を助けなくちゃって。

いつもそんなこと思いもしないくせに

必死だった。


ストレス凄かったんだろうね。


学校再開してから、

胃潰瘍なって胃カメラ飲んだもんね。

急に飯食えなくなってさ。


そりゃ元々メンタル強くないもん。

そうもなるよね。


まぁ、でも、

ものすごい経験はしたとは思ってるけど。


運がいいことに、

僕は家族も親戚も友達も

誰一人亡くならなかったんですよ。


津波の被害にもあってないし。


むしろね。

あ、こっから先は

誰にも話したことないんだけども。


当時まだ高一の時の

イジメの名残りみたいなのがあったから

本当に部活に行くのが嫌で


学校も行きたくなくて


バスケが本当に嫌いで


だから。


早く元の生活に戻りたい気持ち。


全くなかったんだよね。


もう、本当に、

ずっとこのままこの生活続いてさ。


学校なんか無くなっちゃえ。


余震もやっぱり怖かったけど。


余震がくる度に、実はホッとしてた。


「あぁ、これでまたしばらく

学校行かなくても良さそうだな」

って。


でもね、それくらい

学校行くのしんどかったんだよね。


地震より学校の方が怖かったんだよね。

人間の方が怖かったんだよね。


なんなら、

「あいつらだけ死んじゃってたらいいのに」


とかまで思ってたからね。

本気で。


でも結局、1ヶ月もしないうちに

学校再開するんだよね。ふつーに。

部活もね。


そう。

当時の体感でもう半年くらいの

感覚だったんだけど


実際1ヶ月経たないくらいだったんだよね。

学校再開まで。


そんな自分がさ。


震災の時のこと何を語れって言うのさ。


歌になんて当然なるわけもなく。


「震災の歌は作れないっすねぇ」

ってよくヘラヘラいうけども。


そんな資格ないってずっと思ってます。

それだけなんです。


当時音楽に救われてたのだけは

嘘じゃないけどね。


ただ、父親の単身赴任先のレオパレスに

家族6人。

すし詰め状態。

年頃の男の子にとって1番大事な

一人の時間なんて作れるはずもなくね。


我慢できなくて、限界きて、

母親の横でこっそり、

イヤフォンしてえっちなやつ見てたら

一瞬音出ちゃって焦ったりしてさ。


そんな時に音楽聴いてたので。

いやぁ本当に。

aikoには救われてましたよ。


ってな訳で、

本当にろくな事が言えません僕には。


ずっと生きてる意味が分からずに、

でも死ぬ勇気もないまま。

ダラダラ生きていたので。


好きでもないバスケも

就職の評価上げるため。


ごめんなさい。

本当にこういう話をする資格が

ないと思ってます。


何を歌ったらいいか分からないんです。

こういうイベントに呼んでいただけても。




ただ、僕にそのつもりが無くても。


僕の生み出した音楽に、もし。

パワーを感じて貰えるとしたなら。


それは嬉しいです。

僕から震災について

何かをあなたに伝えられるってことは

できる気がしないけれど。


てかないけれど。


ごめん、本当に出来ないんだ。

震災続けって本気で思ってたからさ。



でも、僕の手を離れた時から、

それは受け取ってくれた人のものになるから。


あとは自由に解釈して、

パワーに変わるのなら変えて欲しい。


重荷になるなら捨てて欲しい。


どっちにしろ

年明けにやるつもりだったんですけど。

なんか売名みたいになっちゃうなこれ。


でもどうせなら、

まとめてこのブログでやっちゃうね。



「ぼくらはもっと」

「それでもやまない日々の軌跡を」


こちらの音源、各配信サイトにて、

1/8、0:00よりサブスク解禁します。




【ぼくらはもっと】


1.ピカソとタトゥー

2.えろほんのうた

3.猫じゃらし

4.貉〜むじな〜

5.コーンスープ





【それでもやまない日々の軌跡を】


1.音楽は自由であるはずだ

2.玉入れのうた

3.炙りカルビ寿司

4.やまない雨に傘を

5.それでも日々は続いてくから

6.ハッシュドポテト

7.この世界は

8.くちばっかり

9.それでもやまない日々の軌跡を

10.使いっパシリのブルース

11.軌跡の後先で

12.ひとりよがり





たくさんの人に

届いたら嬉しいな。


もちろん、CDの在庫もいっぱいあるから、

出来たら手に取って欲しいけどね。


そんでもって、


1/26(金)

FMふくろうキャスティングリレー

番組内にて、

そして同日に。


たくさん解禁あります。


今年も沢山、

おもしろいと思えることをやろうと思うよ。





最後に。

これだけは誤解されたくないんだけど。


30歳になった今はまだ死にたくないし、

やりたいこといっぱいあるので。


生きるのってしんどいけど。

生きてる意味なくね?

とは思わないし。


あの頃の自分、生きててくれてありがとう!

とすら思えてるのであしからず!

 


"グッバイ グッバイ グッバイ20代

あなたが居たから僕がいる

あなたが生きてくれたから"


この歌詞が、

僕の今の気持ちの全てです。


あの時死ななかった。


死ねなかった意味を。


今生きてるつもりです!!


そんでは!!