同じ言葉でも

それぞれ違う色がある


別れたくなかったよ。

でも待っててくれなんて言えないよ、俺…


帰り道に1人で泣いた。

恋か、それとも夢か…

そんな選択が18歳の俺に迫ってくるとは思わなかった。

悩んだ悩んで、悩みぬいて別れを彼女に伝えた。

彼女は笑って「わかった」と言いながら涙を流していた。





《平原 三郎》

和風な名前。日本人の爺ちゃんが付けてくれた名前。日本が大好きな日本人の爺ちゃんが付けそうな名前。

なんでいちいち「日本人の」なんて言うか?

お婆ちゃんがアメリカ人だから。そう、俺はクウォーター。俺が産まれる前に亡くなってしまったから、俺は婆ちゃんには会ったことないけど、

アメリカの血が俺には入っている。

え?もちろん英語は話せない。



そんな僕はその究極の選択で「夢」を選んだんだ。誰にも邪魔されずに夢を追うことを望んだ。

別に彼女が足枷になるわけじゃないし、邪魔をしてくると言ったわけじゃないし、むしろ俺の撮る写真を気に入ってくれてる。

俺は写真家になりたかった。でも心のどこかにそれを認めずに蓋をしていた。

まぁこの夢も爺ちゃんのせい。昔のカメラを小学生だった俺にプレゼントしてくれた。俺の心を揺さぶる爺ちゃんが凄く好きだった。

そのカメラで風景や家族、友達とか色々なものを撮って、現像した。その現像を待ってる時間が幸せだった。

あの出来上がった時の1枚1枚めくる楽しみ。

もちろん付き合っていた彼女とも沢山写真を撮った。その全ての写真が段ボールに入ったまま残っている。


付き合っていたのは2年弱くらいかな。

好きになったのは俺で、告白したのも俺。

でも最終的に別れを告げたのも、俺だった。

彼女の話を聞いてるのはとても気持ち良かった。

楽しそうに話す彼女を見て、一瞬で好きになってしまった。

だから彼女が楽しそうに話すのを見ているのがとても幸せだった。それで十分だった。





だけど3年生になった初夏のことだった。

大好きだった爺ちゃんが倒れた。

いつかは来ることなのかなと高校生にもなれば何となく想像はしていた。

でもこの心の重さの想像は18歳の俺にはできてなかったと思う。


大事には至らなかった。

でも病院に駆けつけた時に見た眠っている爺ちゃんの姿を見て、時の早さと同時に儚さを知った。

爺ちゃんは何日か入院することになった。

俺は毎日のようにお見舞いに行き、爺ちゃんの昔話、会ったことない婆ちゃんの話、くだらない下ネタの話…そして今日は俺の夢の話をした。


「三郎、夢はあるのか?」


唐突に爺ちゃんが聞いてきた。


「夢か…今は特には無いかな」


本当は写真を撮り続けたいって思っていたのに、言葉にする勇気はまだ無かった。


「夢ってやつはな…残酷なものかもしれないな」


「残酷?」


「夢ってやつは何かを捨てさせようとする。だけどな…だけどな、なんだよ…」


「全然わかんないわ。まぁ好きなことを見つけるよ」


「そうか…まぁ頑張れ。三郎、ちょっと寝るぞ」


「うん」


そう言って爺ちゃんは目を閉じた。

何が言いたかったのか?俺にはよくわからない。

だけど何かを言おうとしたのは間違いなかったんだ。




そんな俺に転機が訪れた。


「アメリカに来ないか?」


それは婆ちゃんの弟のおじさんからの誘いだった。日本が大好きなおじさんは何度も日本に来たり、家に国際電話をかけてくる。そんないつも通りの世間話の流れだった。


「アメリカで写真を学べばいい」

「新しい世界を見せてやる」



アメリカ…新しい世界…

すぐにこの言葉にピンとは合わなかったが、

この言葉に心が躍らなかったと言ったら嘘になる。まだ一度も行ったことがないアメリカ。

おじさんは日本に何度も遊びに来ていた。

アメリカの話は何度も聞かせてくれた。

たどたどしい日本語で楽しそうに話してくれていたのを思い出した。

それと同時に爺ちゃんのあの言葉を思い出していた。


「夢ってやつは何かを捨てさせようとする」


もう心では決まっていた。

俺はアメリカに行きたい。

この日本の魂が宿った名前を誇りにアメリカへ。

……

ただ何をすれば良いのか。

何のためのアメリカなのか。

これが夢なのか…

ハッキリと浮かび上がらない未来図を頭の中に拡げては閉じてを繰り返していた。



それから数日間で周りの色々なことが変わった。

まずは親の説得、英会話の勉強、貯金、バイト…


そして彼女が居なくなった。

別れを伝えたんだ。

結婚なんて軽々しく言えないけど、

2度とこんな人に会えるとは思わなかった。

でも付き合ったままではアメリカには行けない。

そう感じたから別れを決めた。

夢?それとも愛?ってやつ。


別れを告げた時に理由は聞かれなかった。

だから俺も言えなかった。

アメリカに行くからなんて事は、それを言ってしまったら、

「もし良かったら一緒に…」なんて口走ってしまいそうだったから。

この恋はこういう運命だったんだと自分を納得させた。1番好きだった人とは最終的には結ばれないなんていう都市伝説もあるし、などと理由を付けて。


周りでは俺達が別れた話で持ちきりだった。

理由を聞かれたが言わなかった。

それが彼女に伝わってしまうかもしれないから。


中には俺が新しく好きな子ができたとか、その子とバスで一緒に通学してるとか、そんな噂まで立っていた。


なんとでも言えばいい。

もうどう思われたって一度決めたからにはやり抜こうと決めた。



プルルルル……


「はい、何?」


「三郎!爺ちゃんが…」


お母さんが話終える前に電話を切って走っていた。

爺ちゃん…爺ちゃん…爺ちゃん…




病院に着くと爺ちゃんが入院していた部屋にはベッドが無くなっていた。


「三郎!あんた何!?急に電話切って!」


「爺ちゃんは!?」


「爺ちゃん、病院抜け出したんだよ!でも今戻ってきて、個室に移動になったから。出られないようなちゃんとした部屋にね。それを伝えようと思っただけなのに…」


「そっか…良かった…」


抜け出した事も相当なことなのに、生きていたという感情だけでホッとするのに精一杯だった。


「602になったから!1つ上の階ね。爺ちゃんにあんたが血相変えて来るかもって伝えてあるから、会っててね!母さん、先に帰るから」


「うん、わかった。会ったら早めに帰るよ」


そう言って母さんと別れたあと、爺ちゃんの病室に向かう前に下の自動販売機でジュースを買って、病院を出てすぐのベンチに座ることにした。

嫌な想像をしちゃったから一回リセットのつもりでジュースを飲んでいると、


「すいません、ここ良いですか?」


俺がイスに置いたカメラの横の、

少し空いたベンチを指差して言ってきた。


「あっごめんなさい。どうぞ」


制服着てるし、同じ年くらいの人だと思う。

足を少し引きずりながら少し離れて座った。


「かっこいいカメラですね」


「ありがとうございます」


「好きなんですか?」


「まぁ、趣味程度ですけど…」


「へぇ〜そういうのいいですね。俺にはそういうの無いから羨ましいな。今日は風邪とか怪我ですか?」


病院を指しながら彼は聞いてきた。


「え?」


「すご〜くキツそうな感じで座ってたから。別に俺は用事すんだから座らなくても良かったんだけど、大丈夫かな?と心配になっちゃって…」


「そんな心配するほどでした?」


「でした」


そう言って彼はニッコリ笑っていた。

それにつられて俺も笑った。

久しぶりに笑った気がした。


「俺じゃなくて、爺ちゃんがここに入院してて…」


「お見舞いか〜こんなイケメンが優しいってずるいなー。まぁ大丈夫なら良かった。じゃあ、お祖父さん、お大事に」


彼がゆっくり立とうとした時に、



「夢、ありますか?」



俺は頭で考える前に心で話しかけていた。

もう溢れ出たに近い。


「え?」


「あっごめんなさい、何でもないです」


彼は座り直すことはせずに立ち上がったまま、


「ありますよ。ありましたかな?最近な変わりそうなんです、夢が。悩んでて、今は頭がそれでいっぱいです」


俺と同じ未来を模索する表情だった。


「あります、夢?」


「カメラはずっとやりたくて、でもまだボヤッとしたのしかないけど、アメリカに行こうと思ってて、でもそれには何か捨てなきゃいけなくて、夢叶えるには、アメリカ行くには捨てなきゃいけなくて、でも何で捨てなきゃいけないのかな?とか色々考えてて…」


「じゃあ捨てなきゃいいんじゃない?」


「簡単に言わないでくれよ。それができたらこんなに悩んでない!……あっ。ごめん」


「いいよ、大丈夫。気にしないで。アメリカでカメラ頑張って」


そう言って彼は去って言った。

何を俺はあったばかりの人に八つ当たりしてんだ。だったら、そんなことになるんだったら…


「あのさ!俺の夢はさ!…」


少し離れたところから、さっきの彼が話しかけてきた。


「俺の夢は、叶うかなんてわかんないけどさ、

スポーツ紙で良い記事をたくさん書くこと!日本中が感動するような記事をでっかくさ!君はアメリカでカメラの腕磨いてさ、俺の記事の写真撮ってくれよ!」


彼はニコッと笑ったあと、

後ろを向きながら手を振って去って行った。


ボヤッとしていたものが少し見え始めたかもしれない。

だけど脳裏にチラつく別れたはずの彼女の顔。

振り払うかのように爺ちゃんの病室に向かった。

爺ちゃんは窓の外を寂しそうに見つめていた。



「爺ちゃん。大丈夫か?どうして病院を抜け出したりしたのさ?」


「今日はな。婆ちゃんの命日なんだ」


「今日が?それで墓参りにでも行こうとしたの?」


爺ちゃんは、「うん」とも「違う」とも言わずに


「お前、アメリカに行くのか?」


「うん、そうしようと思う。別に何しに行くわけじゃないけど…」


「俺はな夢を追うために、婆ちゃんを捨てたんだ」


「え?何言ってんのよ、急に」


「夢は何かを捨てさせようとするって言ったけどな…婆ちゃんは待っててくれたんだよ。捨てたつもりだったけど、待っててくれたんだよ。それから夢は変わったんだよ。もっとわしが素直に言ってれば婆ちゃんを傷つけずに済んだのにな…」


爺ちゃんは窓の外ではなく、真剣な顔でこっちに向き返った。



「それからなわしの夢は…婆ちゃんになったんだ。婆ちゃんを幸せにすることになったんだ。だから夢は捨てさせるんじゃなくて、その時に1番必要なものが夢になるのかもしれんな…夢を見間違えるんじゃないぞ」



1番必要なものが夢になる…か。



「爺ちゃん、俺…カメラマンとかになれるかな…世界の景色やいろんな人の笑顔を撮るような…そんな…」



「わしはな…わしは趣味でしか撮ってこなかったから偉そうなことは言えんが…わしは、三郎の写真は好きじゃよ」とニコッと笑ってくれた。

いつもの優しい爺ちゃんの顔に戻った。


「ありがとう。また来るよ」


「あぁ、無理せん程度にな」




もう辺りは暗くなっていた。

大好きなカメラが、写真が仕事になるなんて考えもしなかった。

心や頭、はたまた足の爪なのかわかんないけど、どっかにあったんだと思う、こんな夢への思いが。



そして卒業を迎える。

だけど卒業式には出ない。俺の卒業式は空の上だ。そう、卒業式当日にアメリカに行くことにした。偶然もあるが、それもアリだなと自分で納得して空港に向かう前に病院に向かった。


「爺ちゃん、どう?」


「ボチボチじゃ。三郎、今日からアメリカか?」


「うん、夕方の便」


「そうか。気をつけてな」


「爺ちゃんも元気でいてよ」


爺ちゃんはサイドテーブルにあるお茶を一口飲んで、一息ついて話し始めた。


「夢はな残酷なんだ。それは変わらん。

だけどな人生は欲張っていいぞ、三郎」



爺ちゃんはいつも俺の心を揺さぶる。

俺は意味もわかってなかったが、


「うん、わかった」と言った。


それから少し世間話をして、空港に向かった。

色々な面倒臭い手続きを終えて、俺は空港のイスに座っていた。





「三郎!」



そこには彼女が居た。



「何黙って行こうとしてるわけ!?」



なんでここに?

なんて言葉より先に、


「ごめん」


謝っていた。


「私がこの数ヶ月間、どんな気持ちだったかわかるの!?」


「ごめん」


「嫌われたのかと思ったよ…」


そう言って彼女は泣き崩れた。

それを支えようとしたが間に合わずに膝をついた彼女を抱き抱えた。

泣き崩れながら俺にずっとずっと文句を言っていた。何で言ってくれなかったのか、相談してくれなかったのか、とか。

出発の時間ギリギリまで、ずっと抱き抱えるのに必死だった。



「もうそろそろ行かないと…」

時計を見つめながら伝えた。



「もう会えないの?」



爺ちゃんのあの言葉を思い出した。



「人生は欲張っていいぞ」







自分のシートを探して席についた。

窓の外は夕日が沈みかけていた。

そんな夕日を見つめながら、大好きな日本に別れを告げた。



暖かさと切なさで揺れるオレンジ色の

「さようなら」を








「爺ちゃん、久しぶり」


線香の匂いは割と好きだ。

日本って感じがする。

結局爺ちゃんとは会ってお別れできなかった。

しっかり墓石に手を合わせて、

一冊の本を置いた。


「やっとできたよ、爺ちゃん」


「1番に見せれて良かったね」


「そうだな」


立ち上がった瞬間に強い風が吹いた。

その本がその風に乗ってめくられていくのが見えた。

まるでそこに居る爺ちゃんが見てくれてるかのように…


【写真家  平原三郎     『夢』】