同じ言葉でも

それぞれ違う色がある



長いホイッスルをベンチで聞いたのが約6ヶ月前。汗を流し、泥に塗れてた青春の終わりを告げる音のようだった。





《伊勢谷 風》

これが俺の名前だ。いかにも足が速そうなイケメン風の名前だと自分でも思う。

だけど足は誰よりも遅かった。

速くなりたくて毎日走ったり、走り方を動画サイトで調べて研究したり、小学生の頃は〈瞬足〉を親にねだってみたり…

だけどその効果も虚しく、足が速くなる事はなかった。

なのに、サッカーだけは大好きだった。

幼馴染からも名前ではなく、

「サッカー小僧」なんて呼ばれていたし。

でも足が遅いことがこんなにも足を引っ張るなんて小さい頃は考えもしなかった。

そして名前も相まって、ハードルが上がってるだけあって、さらに遅く見える…らしい。


3年生は秋の大会で引退。強いチームはもちろん冬まであるのだか、うちは…まぁまぁ。

あと半年以上も高校生活が残ってるっていうのに、受験だなんだとこじつけて引退させる。

最後の大会だけは出たかった。

だから前よりもっと練習した。

前よりもっとサッカーを好きになった。

そして2年の秋、1つ上の先輩が引退してから俺は、監督に必死でアピールした。

体力と筋力を付けて、第一希望のフォワードを諦めて、ディフェンスの方ならと毎朝と練習後に自主練をしたりした。ディフェンスなら足が多少遅くても身体の強さとかでカバーできるんじゃないかな?なんて…

安易だけど本気だった。

そんな自主練を始めて1ヶ月くらいたった頃、


「伊勢谷さん、俺も一緒にやっていいですか?」


それに付き合ってくれた唯一の後輩。

1つ下の佐々木拓実。


「別にいいけど…いいのか、帰らなくて?」


「大丈夫です!伊勢谷さん見てたら、もっとやんないとなって…邪魔…ですか?」


「いや、ありがたいよ。でも無理だけはすんなよ。これで怪我されたなんて言ったら、1年のエースを壊した犯人にされちゃうからさ」


拓実は1年生で唯一のレギュラー。

県とか、関東とかそんな選抜とかにも選ばれるような俺とは真逆のサッカーの神様に愛された優秀な選手だ。


「了解でーす。無理はしません!1対1やりましょ!」


拓実と朝から晩までボールを蹴っていた。

はるかに俺より上手い。

多分、拓実の練習にはなってない。

だけどそれを何も気にせずに練習に付き合ってくれた。


そして3年生になってすぐの練習試合。


「今日のスタメンは、田中、阿部、辻田、伊勢谷、石倉、武内…」


監督が俺の名前をこのタイミングで呼んだのは初めてだった。

拓実が小さくガッツポーズしてるのが見えた。

本当は泣きたかった。泣きたいくらい嬉しかった。けど、ここがゴールじゃないんだと自分に言い聞かせて、太ももを強くつねった。

でもこれは紛れもなく、

努力が実った瞬間だったんだ。

レギュラーになれた事に慢心せず、

その日もみんなが帰った後に自主練をした。


「やっぱり居た!練習試合の日くらい帰った方がいいですよ〜体力持ちませんよ?」


「体力だけは俺の取り柄だからよ!気にしないで、お前こそ疲れてんだから帰りな」


拓実が帰り際に

「すげぇ〜なぁ〜…」


小さな声でボールの跳ねる音と音の間で微かに聞き取れた。

自分よりも凄い人間に認めてもらえる事。

それは誰でも気持ちが高ぶる。

歳の差なんて関係ない。自分がその人を認めているか、いないか。


そのまま毎日練習を続けた。

誰よりも早く学校に来て、誰よりも遅く学校から帰っていた。もちろん拓実も一緒に。





そしてついに大会が始まる。

そんな時だった。寝坊した俺が悪いんだ。

不運な事故だったんだ。でも名誉の負傷さ。

だから後悔なんかしてない。

後悔はしてない。

後悔はしてないんだ。

その子は無傷だったんだから。

後悔はしてないんだから…

足に付いた大きなギブスと自分を支えるための松葉杖を握りしめながら、この言葉を毎日繰り返した。そうまるで呪文のように…



決勝まで行けば、全国まで行けば、まだ可能性はある。治る可能性はある。

だけどそんな人生は上手くいかない。

いつもと同じように冷たいベンチに座りながら、俺のサッカー人生は終わったんだ。

拓実は泣きながら、

「…すいません…」とだけ俺に伝えて、タオルで顔を覆っていた。


それからサッカーを見る事は無かった。

楽しかった、大好きだったサッカーが悔しさでいっぱいになってしまったから。



それからもう半年ほど過ぎていた。

周りは受験、就職、専門にするのか、大学にするのか、それとも短大なのか…

未来を模索する声で埋めつくされていた。

サッカー選手になりたい。

小さな頃からの夢を捨てれずに持っていた俺は1人進路が決まらずに葛藤していた。

もちろんプロになれるなんて思ってもない。

だけど、だけど…サッカーとこれでお別れなのか?と自問自答を繰り返していた。



その日は担任の先生に呼び出された。

俺だけ必要な書類が提出されてなかったらしい。

進路が決まらない俺に仕事を早く終わらせたいんだという態度で…

面倒な作業を教室で1人で黙々とこなし、

もう帰る頃には夕陽の光は、月の朧げな光へとバトンタッチしていた。

上履きから外履きに履きかえ、校門に向かっている時。

かすかに聞こえるボールの弾む音。

何度も聞いた少し湿気ったような音。

何も考えずその音のする方に向かっていた。





そこには1人でボールを蹴る、拓実が居た。

まだ居残り練習、続けていたんだ…

っていうのが素直な感想。

本当は可哀想な俺にただただ付き合ってくれてるだけだと思っていたから。

だから声はかけなかった。

やっと自分の練習ができるから。



前に拓実がこんなことを言ってたのを思い出した。


「伊勢谷さん、すっごいサッカー好きですよね?だからなんですよ。俺、サッカー好きな人とサッカーしたいんです。だから楽しいんです!」


そして今やっとわかった気がした。


あいつも俺と同じくらいサッカー好きだったんだなって…


最後の試合は出られなかったし、サッカーやってて得した事なんてないし、全然上手くなれなかったけど、サッカーが俺と同じくらい好きな人とできて良かったなって思えた。



次の日、検査のために病院に行った帰り。

ベンチに座る男の人を見つけた。

どう見ても体調が良くなさそうだ…

だけどその人は体調が悪いわけじゃなく、

話してみると未来に悩んでる感じだった。

どこか俺の今の状況に似ていた。

だって、突然初対面の人に向かって、

「夢、ありますか?」だよ。

でも…そんなストレートな言葉だったから心を動かされたのかもしれない。

その日の病院からの帰り道。

もう心は決まっていた。






俺はスポーツ記者になることを決めた。

初めて自分の夢を言った人が見ず知らずの初対面の人ってのが気になるけど、

誰かに言う事で前に進めるような気がしたから。

なれるかなんてわからなかったが情熱だけで押し切った。

大好きなスポーツ、そしてサッカーをできる限り近くで感じれる場所に身を置きたかったから。

そしてサッカーの呪縛…いや、サッカーへの片思いは終わる事はなかったから。



卒業証書を受け取り、教室に戻った。

窓から見える校庭では新しい世代のチームが練習をしている。





恋もバイトもせずにサッカーだけに打ち込んだ3年間。

今、思えば幸せしか残ってない。

少し暖かくなってきた春の風に吹かれて、

大好きだったサッカーに別れを告げた。



晴れ渡る空の様な青い

「さようなら」を






「伊勢谷さん!明日の一面どうします!?もう締め切りギリギリですよ!?」


「ちょっと待てって!今、良いところだから!勝てば、勝てばこれでいくから」


90分前からテレビに釘付けだった。

そしてホイッスルが吹かれた。

その瞬間、誰よりも大きな声で叫んだ。



「よし、明日の一面はコレだ!」




それが俺の1番のお気に入りの記事になった。

デスクには額縁に入れたその記事が飾ってある。



【佐々木拓実 プロ入り初ゴール】