『ぼくは、何者かでありたい。』

 

 

こんな話がある。

 

男は「名前をつけて保存」女は「上書き保存」

 

過去の恋愛に対して、男はそれぞれに名前をつけて保存していくけれど、女は上書き保存していく、という話だ。

 

 

元彼、元カノの写真なんかもその理論が適用されて、男は元カノの写真をしっかり保存しておくけれど、女は元彼の写真なんて全部消してしまうらしい。

 

 

本当か嘘かはわからない。

 

結局人によるんじゃないの。なんて話もある。

 

 

 

 

ぼくのカメラロールには、元カノの写真が一枚もない。

 

 

じゃあ上書き保存なのかって言われると、そうではない。

 

 

 

ぼくは、自分が消せない。

 

彼女たちと付き合っていた頃の、自分の写真が。

 

 

 

そのことを以前、知人に話したら、それめちゃくちゃナルシストじゃんって言われた。

 

 

逆だと思った。

 

 

もしぼくがナルシストだったら、そんな写真は全部消していると思う。

 

消すことができると思う。

 

 

 

ぼくは、何者でもない。

 

 

唯一何者かであると感じるときは、彼女と過ごしているときだ。

 

 

彼女にとっての、彼氏であるとき。

 

 

何者かであった瞬間瞬間を消してしまうと、ぼくには何も残らない。

 

 

何者かであったという証を消してしまうのが、怖くてたまらない。

 

 

 

そんな何者でもないぼくだから、何者かでいられる瞬間が、一つ、また一つと幻のように消えていくのかもしれない。

 

 

 

何者かでありたい。

 

ただそれだけなのに。

 

 

 

2020年、5月3日、日曜日。

 

また、消せない写真が増えた。

 

 

 

 

 

ぼくは、何者かでありたい。

 

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今日、頭に浮かんだ物語を書き留めてみました。

 

なぜこんな物語が浮かんできたのか。

 

思い当たる節はありません。

 

 

人間って、不思議ですね。