三浦マイルド君は山上容疑者を凶悪人物に仕立て上げようとしている。
情状酌量という言葉の意味を知っているのに、あえて、なんの酌量もせず、冷たい断罪者のように、あんな発言をしているのかもしれない。
マイルド君よ「君はなぜ、山上容疑者があの事件を起こさなければならなかったか、その理由を知っているのか」
いけないのは、彼らのような苦しみを受け止めて対処しようとしない、この社会、政治にある。
彼は犯してはいけない罪を犯したとはいえ、そこまで追い詰められていた、という事は事実。
どこにも助けを求める事のできない者たちの苦しみが、、マイルド君よ、君には分かるのか?
第二の山上を恐れて、統一教会への糾弾をやめさせ、宗教二世たちの口を封じようとする、マイルド君の強権的なやり方こそ、かなりマズイやり方なのだと思う。
それに、第二の山上というが、彼と同じ状況で彼と同じ行動に出ようとするものは稀だ。
宗教二世には、それぞれの苦しみ、それぞれの悩みがあり、対処法も幾通りもあり、それぞれ異なる。
しかし、窮すれば鈍する、の通りで、カルト問題に関わらず、とにかく、生きていくための目先のお金さえ入手できなかったり、家族がその困窮の犠牲となる場合、宗教二世に限らず、なんらかの問題が発生することはあるだろう。
したがって、宗教二世に限って、この種の問題の危険性を論じるマイルド君の論調は、いささか飛躍が過ぎる。
むしろ、彼らの声に耳を傾けて、相互理解を図り、事態を改善したほうが遥かに良さそうだが、いかがだろうか。
もちろん、マイルド君にはそういう気持ちはサラサラないのだろうけれど。(その証拠に彼は山上容疑者とは呼ばず、山上、と呼び捨てにして蔑んでいる)
問題の根源は、ある一人の本来なら賢い人物を苦しめて愚行に走らせるまでに、狂わせた統一教会の正義を無視した、えげつなく悪どい献金手法にある。
そこに今回の問題の矛先が向くべきであり、その手前、つまり統一教会の犠牲者となった山上容疑者やその署名活動を問題視して、肝心な焦点をずらすべきではない。
なにしろ、悪の元凶は統一教会にあるのだから。
その点を軽んじたり、逸らしたり、忘れさせてはならない。