私の妹は、神奈川県大和市に住んでいましたから、海老名市中国語会衆が一番近かったのですが、訳あって、さいたま市中国語会衆へ移動して所属したのです。
海老名市中国語会衆はすでに、成員がいっぱいですし、プライドばかり高いベテル長老も多くて、ギスギスしている上にこれ以上、成員を増やせないという理由でした。
どうしても、中国語会衆に所属して、中国での奉仕を希望していた妹は、海老名市中国語以外の会衆を探しました。とりわけ、海老名のベテル奉仕者の息がかかっていない会衆です。
なぜならば、当時の大和市鶴間会衆には、キーコーヒー創業者一族の孫にあたる高松兄弟がベテル奉仕者の書記として、所属していて妹の中国語会衆行きを妨げていたからです。
彼曰く、妹が中国語の会衆に行くには、語学力や霊性はあるが、生活力が足りないのではないか、という不安があるというのです。
ま、妹も、当時は親元にいましたから、高松兄弟から、そう言われても仕方ありませんでした。
それで、妹は考えました。
京都にいる京都中国語会衆の道下兄弟にアドバイスを求めたのです。
道下兄弟曰く、さいたま市中国語会衆に、彼の懇意にしている長老兄弟がいるので、彼にお願いしてみるというのです。
その策が実って、妹は、私の双子の妹と一緒に、さいたま市中国語会衆に移動しました。
そこで一年ほど経過したころ、同じ会衆の成員だった小林兄弟姉妹の移動先の、南通市の中国語会衆に交わる計画を立てました。
それで、妹は、自ら香港支部宛に手紙を作成し、中国に移動希望である旨の意思表明をしたのです。
やがて、香港支部から返事が来て、大陸で奉仕する許可をいただきました。
その許可とはエホバの証人の世界では推薦が貰えることを意味します。
こうして妹は、晴れて正式な方法で中国で奉仕する特権を得ました。
しかも、あらかじめ小林兄弟姉妹のいる南通市の会衆を希望していたので、そのまま、その会衆の正式な成員として移動することができました。
必要の奉仕のために、正式な手続きを踏んだことで、妹の自尊心と良心は痛まないで済みました。
手続きを踏まずに移動する人たちは、お試し体験の奉仕者か、短期滞在者か、あるいは、観光気分で来る方たちばかりでした。長老たちからすれば、彼らは同じエホバの証人とはいえ、正規の会衆の成員ではないというイメージを持たれていました。
なぜならば、彼らはいつまでいるかも分からないジプシーのように不定な動きをするからです。
妹は、ビザが切れる月までしっかりと奉仕し、ビザが切れたら、また日本でビザの申請をして、再び中国に渡りました。
こうした、スケジューリングされた動きが、地元会衆の仲間たちからの信頼を得ることともなりました。
日本に戻ってくる時には、しばらく仕事をして資金を貯めていました。
そうやって日本にいる間には、いつも「早く、大陸に帰って研究生達を霊的にお世話したい」と言っていました。
もう、大陸に戻りたくてウズウズしている感じでした。
こうして、妹は、南通市で何人もの研究生をエホバの証人の唱える真理に導いてしまいました。
きっと、南通市の研究生たちの目には、妹は「日本人でありながら、中国語が話せて、現地で仕事もして、聞いたことのない明るい未来の希望を教えてくれる素晴らしい人たち、私もあんな風にステキなクリスチャンになりたい」という思いを持たれていたに違いありません。
妹たちの研究生と私も何人か会いましたが、皆さん、20代で若くて元気で頭が良い方たちばかりでした。
彼女たちは大陸では、活動が禁止されているエホバの証人となってしまったことで、一流企業の仕事をやめたり、一流大学をやめたりして、家族からほぼ縁を切られてしまいました。そうなるともう一生、エホバの証人を続けていくしかありません。
「中国人の若い方々の未来を壊してしまっている」という意味では、エホバの証人になるように導いてしまった妹の罪は、重いです。