昨晩、NHKのドキュメンタリー番組を見ていた。

題名は「父を探して-日系オランダ人、終わらない戦争」

日本軍占領下のインドネシアにおいて、日本兵の父親と、オランダ人の母親から生まれた日系オランダ人たちが、味わった壮絶な苦しみの実話である。

私は生い立ちゆえに日本人の顔をした、オランダ人たちが、味わった苦難の記録だと思った。もしくは日本人の血を継いだがゆえに味わった苦しみの記録とも言える。

ただ「日本人のような顔をしている」というだけで、継父から、祖母から憎まれ、学校や近隣住民からも憎まれてきたという。

それゆえ、彼らは極めて自己評価が低く、自分はダメな人間だと、いつも自分を責め続けてきた、という。

戦後その血筋ゆえに蔑まれ、虐待され、どれほど苦労をしたかしれないのに、それでも、父親を探さずにいられない彼らの気持ちがとても切なかった。

自分に苦しみを与えた元凶である父親を探すことで、いったい何が変わるというのだ。そんな疑問が何度も頭の中をよぎった、という。それでも、父親を探す決心をした日系オランダ人のかつての子供たち。

登場人物のナニーは、インドネシアで生まれた日系オランダ人女性。

日本兵だった父親は母親と子供たちをインドネシアに残したまま日本に帰還。母親と子供たちはオランダに帰った。

やがて母親は、オランダ人の夫と結婚。アニーから見れば継父である。しかも、その継父は、かつてのオランダ人兵士であり、日本軍の捕虜となった経験を持つ。

当時の日本軍はインドネシアに鉄道を建設中で、継父はその仕事に従事させられた。そして、毎日のように極めて過酷な仕打ちを受け死を彷徨うことさえあった、という。

同じ時に、鉄道建設をさせられていた敬虔なオランダ人捕虜は「我々は日本人を憎むことを忘れてはならない、日本人への憎しみがここを生き延びるための原動力になるからだ」と語ったという。継父もその意見にきっと同意したことだろう。

そして、戦争が終わった。当時の日本軍による虐待で、精神を病んだオランダ人捕虜はたくさんいた。

そして、表面的には普通の精神状態に見えた継父も心に深い傷を負っていた。

そして「日本兵を憎らしい」と思う気持ちを失うことは決してなかった。

その後、アニーの母親と結婚するが、日本人の顔をした義理の娘アニーが、最初から憎らしくて仕方がなかった。「おまえは日本人の目をしている」「あの憎き日本人の目だ」と日頃から怒りや不満をこぼしていた、という。きっとかつて日本兵から屈辱を受けた強烈な記憶が蘇ってしまったのだろう。

そして、その後、その日本人に対する憎しみが義理の娘であるアニーに向けらる。

アニーが高校生の時に継父は、アニーに性的虐待を加え続けた。アニーは妊娠し、やがて娘デボラを産んだ。デボラはすぐに養子になって他の家族に預けられ、その後会うことはなかった。

その後、母親はアニーに言った「どうして、継父に抵抗しなかったの?」と。ショックだった。

そして、アニーとその弟は、母親と継父の家族と決別することを決める。

このドキュメンタリーが明らかにしているように戦争の後には、暴力の連鎖が残る。

誰かが、その連鎖を断ち切らなければ、ならない。

アニーはそうする決意をした。そして、「人に与えられる苦難は、ただ苦しむためのものではない。乗り越えるべきものである。そして、私はそれを乗り越えてきた、そして、憎しみの連鎖は私の代で終わり」と。

苦難を味わった人から、出てきた言葉は重くて深みがある。

確かに、暴力の連鎖、憎しみの連鎖というものは誰かが終わらせなければ、永遠に続いていくように思える。それほどまでに根深く手強い敵なのである。