今日はこんなことを思いだしていた。

私の父は会社を辞める数週間前からかなりのストレスを抱えながら出社していたという。

そして、その日は長年勤め上げた会社の出勤最終日だからと、持てる力を振り絞っての出勤だった。

そんな父の当日の朝からの異変に母は、案の定、気が付かなかったのである。

父の痛みの原因は胆石による炎症だった。

胆石による腹部の痛みは、あらゆる痛みの中でも最高に痛いものらしい。

その激痛に耐えながら、父は帰宅途中で、なんとかタクシーに乗り、地元駅の戸塚駅から横浜国立病院に直行した。

だが、救急でなく通常診療でかかったために、なかなか順番が回ってこない。

あまりの痛みに耐えかねて、父はそばを通った看護師に声をかけた。

すると、その看護師が父の表情を見て、事態を飲み込み、すぐに医師に診てもらうことができた。

診療の結果、胆石による炎症が起こっているという。即日の手術が必要だと言われた。

そして数時間後には、緊急手術となった。病院から自宅に電話があり、当日、緊急手術を行うのだと言う。

母は三人の子供たちに連絡をした。

私は当時、高校生だったので、原チャリで学校から病院へすぐに駆けつけた。だが、手術はすでに終わっていた。

昨日とは打って変わって、血の気のない顔で、ベッドに横たわる父の姿があった。父は完全に精力を奪われたかのような表情をしていた。

これが、あのいつも快活で精力的な父の姿なのか、これはもしかしたら死期の近い人の表情なのかもしれない、と私は愕然とし、大きなショックを受けたのである。「父もまた、か弱き人の子だったのだな」と改めて思った。

それから、私は父が心配になって毎日、病院に通った。

もしかして、このまま父が衰弱して死ぬのではなかろうか、と思ったからである。

雨の日も風の日も、雪の日も、バイト帰りでも、集会帰りでも、どんなに遅い時間でも毎日、原チャリで病院に向かい、お見舞いに通ったのである。

私と父はそんな日々を経て、これまで固い絆でずっと結ばれてきた。このことは今まで誰にも話したことはない。

そんな父は今もピンピンとしている、先日、そんな父の姿を目にすることができ本当にありがたい、と思った。

当時のロゴスが父親に対してどんな思いを抱き、毎日病院まで原チャリを走らせていたのか。

暗闇をひたすら病院目指して走る、当時のロゴスの後ろ姿。

当時は幸い二人ともまだ献身前。そこには親子の自然の情愛が豊かにあった。