自宅玄関に親子で一緒に入れたことで安心した私は、両膝の力が抜けてしまい、玄関に膝と手をついてしまいました。すると、しばらく堪えていた涙がドッと溢れ出てきました。

しかし、父は先に玄関に入るなり、靴を脱いで、すぐにそそくさと部屋の奥へと行って姿が見えなくなってしまいました。薄情な男です。

母は私のそばに形だけでしたが、ずっといました。そして、私は母にも「ねえ、三年間ずっと一人でいたことがどれだけ辛いか分かる」と尋ねました。母は「ああ、分かるよ、ロゴス、分かるよ」と言いましたが、返事が早すぎで実感が全く伴ってはいませんでした。

事実、母はその時、泣いてはいませんでした。というよりも、この日、母は一度も涙を見せませんでした。母が泣く時は唯一、自分が悔しい時だけです。

それから、私は再び母に「ねえ、なんで自分だけ小さな時からずっとお母さんから、いじめられてるの、いまも排斥されてまだこうしていじめられているし、いったい、自分だけどうしてなの、どれだけ息子を痛めつければ気が済むのよ」と言いました。

すると、母は「全部、私が悪いの、ごめんね、ごめんね、私が悪かった」と背中をささっとさすります。

ですが、その母の手のひらに、母親の持つ温もりや温かみを全く感じませんでした。おそらく、さすりが早すぎて、手のひらに何の想いもこもっていなかったことが、私まで伝わってきたからなのかもしれません。

こんな調子だと、もう母には問いかけても無駄だな、と思ってしまいました。

しばらくして、私は玄関から立ち上がり、ダイニングテーブルの近くに移動しました。

父が椅子に座り、母は立っています。
私はテーブルの近くに座り込みました。

私は再び「三年だよ、三年、この長い間、どうしていたんだよ、息子が心配でなかったのかよ」と2人に問いかけました。

すると、母は「もう、ずっと心配だったわよ、でも、そういう取り決めだから仕方がないの」

私が「そんなのおかしいよ、取り決めとか、神とかさ」と言い返すと、今度は父が「排斥者とは口をきいたらいけないと、組織から言われているから仕方ないんだよ、もし、そうしたら、我々が排斥されてしまうし、神に忠実を保つためには、仕方がないんだよ」

というのです。そして、私は「神と自分の息子とどちらが大切なんだよ」と尋ねました。すると、母は「どちらも大事よ、でも、第一は神なの、その次に家族よ、ロゴスもそんなこと分かっているじゃない」と言うのです。

そこで、私は「でもそれって、おかしいでしょ。息子が一人で死ぬほど苦しんでいるのに、それでも神を喜ばせたいなんてさ」

すると、父はここで話をそらしてきました。「え、ロゴス、死にたいって、思っちゃっていたの?」と尋ねてきました。狡猾です。

それで、私は「そりゃ、そうさ、排斥されて、家族から分かたれて、たった一人になるんだから、その苦しみがどれほどか分かるか、もう自分なんてどうなってもいい、こんなに苦しいことならば、いっそのこと死にたいって思うぐらいなんだよ」と返答しました。

すると、父が再び「えー、ロゴスは、死にたいなんてところまで思っていたんだ、それほど辛かったんだね、でも、それが神のご意志なんだよ、そのぐらい苦しまないと、本当の謙遜さなんて培えないんだ、ロゴスがこの経験を通して学ぶべきは、真の謙遜さなんだよ」

さらにボディーブローのような辛辣な言葉が続きます。「ロゴス、分かるか、お前が排斥されたのは、高慢だったからなんだぞ、神はお前のそこを憎まれたんだよ、だから、排斥されたんだ、ロゴス、お前はそれを理解しなければダメだよ」

そこで、私は「親父、それはおかしいでしょ、じゃ、自分はどれほど苦しめばいいんだよ、死ぬほどだったんだよ、死んだら何もかも終わりじゃない、排斥されてるし、永遠の滅びだしさ」と返答しましたが、

父は「ロゴスは、まだまだだなー、自分の経験から全然学んでない、死ぬほど苦しんで努力して、はじめて謙遜さを学ぶんだよ、そこがまだ分からないんだな、せっかく死ぬほど苦しんだんだし、賢いんだから、そこをちゃんと理解してよ」と、こんな調子で、暖簾に腕押しな論議ですし、死ぬほどの苦しみを極めて軽く見なしてしまっているので全く話になりませんでした。

下手すると、たとえ死んでも最終的に謙遜さを培えたならば、その人生には価値があるかのように言っているかのようです。殉教者の美徳みたいな考えですが、実際に、そう言いたいみたいです、、。

こうして、私の両親は私との不毛な問答を繰り返していた、だけでした。再び、あらためて三年ぶりに親子で久々に交わした会話を振り返るとただ虚しさが募るだけです。

父は、まるでJW組織に精巧に細工された証言ロボットそのものでした。証言ロボットとiPadのタブレットとJWブロードキャスティングで皮肉なことにエホバの三種の神器の勢揃いですね。

ただ、この時、すでに3時50分を過ぎており、集会に参加することは、2人共に諦めたようでした。

しかもこうして排斥者と長らく会話することを良心的にも許してしまいました。彼らはやがて三年ぶりに訪問した息子を差し置いて、その罪の重さに怯えていきます。

「我々のこの出来事の扱いは霊的にはどうなるのかなぁ」と。

つづく