オバマ大統領のスピーチは、平和を愛する人々の心に非常に重みのあるものだった。
子供たちの無邪気な笑顔が溢れる平和で何でもない一日を何よりも大切なモノとみなそう、そしてそれを守るために行動しよう、と訴えていた点がとても印象的であった。
私がエホバの証人として過ごした毎日はいつでも神に敵対しているとされる世との戦いだった。そんな毎日の中で平安な思いを抱くことは非常に難しかった。平和な家族生活や結婚生活を送ることよりも、優先されたのは神との関係だった。できる限り独身の立場で神に仕えることが勧められていた。
だから、オバマ大統領がスピーチの中であげていた平凡で平和な生活とは程遠いものがあった。彼は次のような言葉を語っている。
「われわれは皆一つの人類という家族の一員であるとの根源的で必然的な考え方だ。これこそ、われわれ皆が伝えなければならない物語だ。
これが広島を訪れる理由だ。愛する人、自分の子供たちの朝一番の笑顔、台所の食卓越しの夫や妻との優しい触れ合い、心安らぐ親の抱擁といったことに思いをはせるためだ。
こうしたことに思いを寄せると、71年前にここで同じように大切なひとときがあったということが分かる。亡くなった人々は、われわれのような人たちだ。」
エホバの証人のような信仰をしていては、戦争は無くなるかもしれないが、本当の意味での幸せな生活が訪れることはない。なぜなら、ものみの塔ではそのような平凡で幸せな生活を送ることを決して勧めていないのだから。
エホバの証人の現役信者たちの多くは毎週のつまらなくて代わり映えのしない長時間のプログラムにあきあきしている。
また、毎週捧げなければならない不毛な奉仕に疲れてもいる。
さらには一大イベントとなっている地区大会の強制参加は負担以外のなにものでもない。
そんな疲れる毎日に希望も輝きもないのである。
しかし、多くの信者たちがそのことに気づかずに死んでいった。だから、いわゆる彼らは、「ものみの塔が仕掛けた戦争の戦死者」と呼んでも過言ではないのだろう。
従って、カルト集団ものみの塔の偽りの教えから逃れた者達は、道義的覚醒を始めた者と呼ばれるに相応しいもの達なのである。