私の妹は25歳で必要の大きな場所で開拓奉仕をするためにものみの塔協会に申し込みを出しました。また同時にパートナーの割り当てを希望する旨も記載しました。

そして、ものみの塔協会により割り当てられた姉妹がやがて私の妹を精神的に追い詰めるようになります。

そのパートナーとなった姉妹は家庭内で殴る蹴るの暴力を振るう未信者の父親とその過剰な暴力に対して見て見ぬふりをするエホバの証人の母親に育てられ、心身をすり減らすような環境で生活していたようですが、20歳を超えたらすぐに家を出ようと決心していたようです。

ですから、彼女が必要の奉仕に申し込んだ目的は必要の大きな土地で奉仕するためではなく、暴力でしか感情を表現できない父親から逃れるためだったのです。

そして私がはじめてそのパートナーを見た時になんだかとても嫌な予感がしました。

彼女の顔が終始無表情でクールで人としての温かみを何も感じかったからです。

そんな漠然とした不安を抱えたまま、妹はそのパートナーと共に茨城県の神栖会衆で必要の奉仕を始めました。

ですが、その不安は直ぐに的中し、妹は毎晩、泣きながら実家に電話をかけてきました。当時は私も実家にいたので妹の状況が良く分かりました。妹が唯一心が休まる一時はダスキンの仕事をしている時だけだったようです。

妹はそのパートナーから日々言葉の暴力を受け、度々怒りをぶつけられていました。また、パートナーが勝手に作り上げた規則を破るとしばしばひどく怒られたようです。単純に暖房を長く使っているだけでも激怒されたため、親が購入したデロンギのヒーターはほとんど使えなかったとのことでした。

そうして、妹は日に日に精神的に追い詰められるようになり、パートナーのいる自宅には帰らず、車の中で一晩を過ごすこともありました。それぐらいパートナーの予期せぬ激発的な怒りに怯えていたのです。

そんな日々を過ごした妹はやがて実家に帰りたいと言い出すようになります。パートナーとは話もしたくないというのです。

そして、しばらくして父と私は妹を救出する作戦を練り、ある日ついにそれを実行に移しました。

暴力的なパートナーから逃れるためにはそんな強行作戦しか他に手はありませんでした。父と私は車を走らせ妹を連れ戻しに行きました。そして妹を無事実家に戻すことができたのです。

しかし、妹は想像以上に精神的に追い詰められていたため、元通りの通常の生活ができるようになるためにはかなりの年月を要しました。

こうして私の妹はものみの塔協会に割り当てられたパートナーによって、一生ぬぐいきれない苦しい体験を余儀なくされ、我々家族もその被害者となりました。

ものみの塔が単なる人間組織に過ぎないのに、信者たちの上にまるで神のように振る舞った結果、大きなダメージを被った人々は数え切れないほど存在しているはずです。

ものみの塔が長期に渡り、無数の人間を信者にした結果、猛毒がばらまかれたと言っても過言ではありません。