私は、かねてからアメリカ発祥のエホバの証人の輸血拒否の信条と米国の国家権益には何らかの関係があると思っていた。
そして実際に輸血拒否患者と米軍の軍事利権構想とは深い関係があったのだ。
これから述べる点をじっくり考えてみてほしい。アメリカ兵というのは、軍事利権にとっては、兵器と同様のいわゆる軍事力といえる。
だから、そのアメリカ兵が戦地の病院内において、輸血の副作用で死んだり、後遺症に陥ったりすることは、即、軍事力の損失ひいては国家権力の弱体化を意味する。
そこで、国防総省は戦地における軍事力をできるだけ失わずに保持するためにはいったいどうすれば良いか、ということを学識者を交えて長年議論したのだろう。
その結果、考案されたのが「無輸血医療」というわけだ。また、その格好の実験台は言うまでもなくエホバの証人の純朴な信者たちである。
しかも、エホバの証人には輸血拒否の信条について、二種類のタイプが存在する。
一つは血液由来の輸血を完全に拒否するタイプと、もう一つは、アルブミンや免疫グロブリンなどの血液由来だが分画された血液製剤だけは受け入れるというタイプだ。
前者のタイプは、激戦地において血液製剤が全く底をついたケースでの負傷兵の手術のシュミレーションとなるし、後者のタイプは戦地において、多少の血液製剤が手に入るケースでの負傷兵の手術のシュミレーションになるのである。
つまり、エホバの証人はどちらのタイプであっても、戦地における負傷兵の手術のシュミレーションとしては、最適のいわゆるモルモットとなれるのである。
そういう意味では、エホバの証人の輸血拒否をする信者に二種類のタイプが存在することは、決して、偶然であったというわけではなく、必然だったのである。
しかしその一方で、米国の全国民が無輸血医療を受けるようになってしまうと、国がこれまで築いてきた輸血ビジネスによる医療利権が崩壊してしまう。
だから、戦地にいる軍人は無輸血医療、内地にいる民間人は従来の輸血医療を受けるように国は仕向けているのである。
つまり、無輸血治療のメリットを享受するのは、悲しいかな、無輸血治療のモルモットであるエホバの証人たちと軍事関係者のみにとどめられているのである。
それが米国政府および米国国防総省の偽らざる思惑そのものなのである。
こうして、戦いを学ばない、というエホバの証人たちの、輸血拒否の信条が結果として、国家の戦力維持に貢献してしまうとは極めて皮肉な話である。