軽井沢で突然の悲劇が起きてしまいました。スキーのバスツアーでたくさんの若い命が奪われてしまいました。


昨日まで、生き生きと輝き、力に漲り溢れていた命です。彼らには、まだまだ先の未来や将来の夢や希望があったことでしょう。

いったい、どうしてこんなに悲惨な悲劇が起きてしまったのかはまだ分かりません。しかし、あらゆる不運な状況が重なり加わったようです。


このような事件を知った時、聖書で言う、時と予見しえない出来事が起きたのだ、と冷淡に済ましてしまうならば、あまりに切ない事件になってしまいます。


愛する我が子を突然奪われた親たちの気持ちは、いかばかりでしょう。おそらく子を失った怒りをどこにぶつけて良いのかも分からないと思います。


年輩の運転手が深夜バスの運転業務をしなければならない社会構造そのものにも問題があるのでしょうか。


こんな社会になってしまったのは一体なぜなのでしょう。そこまでの枠組みで考えなければ、究極の答えというものは、なかなか見出せないでしょう。

聖書では、全く説明のつかない悲劇は、この世界においては様々起こるものです。そしてこれからも起こるのでしょう。

その様々な悲劇に対する慰めの言葉も聖書の中にはありません。復活の奇跡なんて、誰も見たことも聞いたこともないからです。この事件の当事者の方々へ、心よりお悔やみ申し上げます。