うちのエホバ信者の親も御多分に洩れず、最低な躾をやらかしてきました。


あのエホバの教えは死への恐れをどれだけ増大させて、教えに固執させるかにありますが、

うちの親は、幼少期の子供に生命の危機を体感させ、最低な躾を繰り返してきました。それが最善だと愚かにも信じてしまったために。。

例えば言うことを聞かなければ、聞くまで食事抜きだ!とか、

悪いことをしたので、うちの子ではないから家に入れない!だとか、

顔に大怪我をしたのは自暴自得だから、病院に連れていかない!

アル中やギャンブル中毒、暴力的な親族の例をあげては、お前もそんなことをしていると、やがてああいう風になる!など、

多々ありました。特に医療ネグレクトを受けたおかげで、いまでも私の上唇は厚いままで、元には戻りませんでした。

こうした最低な躾のおかげで自分は今でも死への恐怖に襲われ、失敗を冒すことの恐怖に囚われています。

本当は何も恐れる必要はないのにもかかわらず、、です。

確かイエスは言いませんでしたか?

あなた方は

天の鳥を見なさい!と、

彼らは種を蒔いたり収穫したりはしないと

それでも、価値がある存在なのだと。

ましてや、人間はいかに。
ましてや、自分はいかに。

しかし、親にも原因があって、そのような弱さを受け継いでしまったのかもしれません。

だから、今の自分は代々の親の弱さを受け継ぎ、今やついにそれを清算しようとしているのかもしれません。その役回りを引き受けているのかもしれません。