誰にでも強烈に嫌いな食べ物がある。
たとえば、パクチーとか、、。

そういう嫌いな食べものは絶対に食べないと心に決めてる人もいれば、ちょっと食べてみようかなと挑戦する人もいる。

前者はいわゆる食わず嫌いな人であるし、後者は好奇心旺盛な人ということになるだろう。食の世界が広がっていくのはもちろん後者のほうだ。

たとえば、パクチーを大嫌いな人が、それを初めて口にした時にはまずいきなりマズイという強烈な感覚が襲ってくるだろう、だが、それを好奇心を抱いて何度か味わううちにやがてその苦味がなんともいえない美味にさえ変わってくるのだから不思議である。

もしかしたら、このことは他人のJW体験または元JWたちの心の闇を聞くことにも当てはまるのではないだろうか。他人のまた自分のJW時代の強烈に苦い経験は最初はウッと、吐き気さえ催し暫くは遠慮しようとさえ思うことだろう。

だが、探究心を抱いてたくさんのいわゆる苦味を味わううちにそれが奇妙なことにその人の心の中で深い味わいに変わってしまうのだから不思議である。

そんな経験を最近の自分はしている。

だから時には苦くて苦くて仕方ない他人の経験をじっくりと聞いて、共に苦い気持ちになると同時に、一方でそれさえも自分の糧にさえしてしまおうという大胆な気持ちを持つ別の自分を持っているということはとても良いことともいえる。

それがひいては自分の周りの世界を広げていくことにつながるのではないか、とさえ思うから。そして自分はこれからキョーレツに嫌な体験を味い飲みこもうとしている。