アウグスチヌスと聖書ーアウグスチヌスの回心


    

 今日は、ラテン教父と呼ばれ、キリスト教の歴史の中で甚大な影響を及ぼしてきたアウグスチヌスが、どのようにしてイエス・キリストを信じたか、その魂の軌跡について、彼が397年から400年にかけて書いた『告白』(confessiones,全十三巻)を通して、見ていきたいと思います。この書には、神への悔い改めと神への賛美があふれています。


「アウグスチヌスのプロフィール」

アウグスチヌスは、354年、父パトリキヌスと母モニカの子供として、北アフリカのタガステ(現在のアルジェリアの都市) に生まれます。母は、敬虔なクリスチャン、父は異教徒で、神に対しては全く無関心でした。父親は、アウグスチヌスに立身出世を期待していましたが、モニカはアウグスチヌスが救われるように祈り続けていました。モニカが、ミラノの司教アンブロシウス(339〜397)にアウグスチヌスの事について相談した時に、アンブロシウスが、「涙の子が滅びるはずはない」と語ったことは有名な話です。
  彼が、イエス・キリストを信じて、クリスチャンとなるのを妨げている二つの深刻なな問題がありました。一つは知的問題で、もう一つは道徳的問題でした。

「マニ教への入信と解放」

アウグスチヌスの疑問は、神が全能であれば、 なぜこの世界に悪や戦争はあるのかというものでした。ここから彼は373年に、善と悪、光と闇、精神と物質の二元論を説く異端のマニ教に入信します。後に彼は、「一者(神)から万物が流出し、また万物は一者の帰る」と説く新プラトン主義哲学を経由して、聖書の神に対する信仰に至ります。この問題は、これくらいにして、もう一つの深刻な問題に移りたいと思います。

「罪との格闘」

もう一つの問題は、性的な不品行でした。彼は、カルタゴ(現チュニジアの町)で修辞学を学んでいた時、放縦な生活を送り、放蕩に身を持ち崩し、女性と同棲し、子供も生まれています。彼は、神を知るにつけ、自分が性欲の奴隷であり、神に対して転倒した意思を持ち、本当に惨めな存在であることを痛感するようになります。彼は、『告白』の中で次のように述べています。

 
「敵【悪魔】は、私の意思の働きを抑え、それによって鎖をつくり、がんじがらめにしてしまいました。実際、転倒した意志から情欲が生じ、情欲に仕えているうちに習慣ができ、習慣に逆らわずいるうちにそれは必然となってしまったのです。これらのものは、いわば小さな輪のように互いにつながりあってーだから鎖と呼んだのですー私をとらえて、拘束してつらい奴隷の状態にしてしまいました。」(『告白』)  転倒した意志」とは、神に反逆する意志です。

「イエス・キリストの贖い」

アウグスチヌスは、罪との激しい戦いの中で、アンブロシウスの説教を聞いたり、聖書を読んだりして、イエス・キリストの十字架の救いに目が開かれるようになります。イエス・キリストが、人間の罪を負って十字架にかかり、身代わりとして死なれたことによって、神に対して天文学的に膨れ上がった罪の債務証書が精算され、キリストにあって罪の赦しが約束されていることを彼は知るようになります。コロサイ書の言葉は、彼にとって、罪の赦しの保証でした。「 神は、私たちのすべての罪を赦し、私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」(コロサイ書2:13-14)

 そして彼は、ひとり子イエス・キリストを犠牲にするほどまでに愛してくださった、神の圧倒的な愛に打たれるのです。彼は以下のように告白しています。

 「善き父よ、あなたは何と深く愛してくださったことでしょう。ひとり子を惜しみたまわず、不義なる者の手に委ねられた。それは私たちのためでした。なんと深く愛してくださったことでしょう。ひとり子は、——十字架の死に至るまであなたに従われた。それも私たちのためでした。」(『告白』)

「アウグスチヌスの回心」

アウグスチヌスは、罪との戦いの中で、キリストの赦しの愛に触れますが、最終的に彼が放蕩生活から決別し、キリストに全面的に従う決断をしたのは、次のローマ人への手紙の一節を読んだことにありました。まさに、コペルニクス的転回です。 

「夜はふけて、昼が近づきました。ですかた私たちは,闇のわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはなりません。」
(ローマ書13:22〜14)

「イエス・キリストを着なさい」という言葉は、キリストを信じ、キリストの義の衣を着て、新しい歩みをはじめなさいという勧めです。彼は、この箇所を読んだ時の感激を、「この節を読み終わった瞬間、いわば平安の光とでもいったものが、心の中に注ぎ込まれてきて、すべての疑いの闇は消え失せてしまったからです。」(『告白』)と述べています。
彼は、自分の回心をまず母モニカに伝えました。モニカの喜びはひとしおでした。アウグスチヌスは、その時のことを以下のように伝えています。

「それから私たちは、母のところへ行き、打ち明けました。母は喜びました。このことがどのようにしておこったかを話すと、母は躍りあがって、凱歌をあげ、私たちが乞いもとめたり、理解したしたりする以上のことをなしうるあなたを讃えました。」(『告白』)

まさに、「涙の子が滅びるはずはない」というアンブロシウスの言葉が実現したのです。しかし、母モニカ以上に、神が、神から逃走した放蕩息子を探し求めてこられたことをアウグスチヌスは心に刻んでいます。

「アウグスチヌスのことば」

アウグスチヌスは、紆余曲折を通して信仰に導かれた自らの歩みを回想して、『告白』の中で、次のように述べています。アウグスチヌスの『告白』で最も引用される言葉です。

 「あなた【神】 は、私たちを、ご自身に向けてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぐ事は出来ないのです。(『告白』)