幸せって、
死と隣合わせって意味だと思う。
死を感じるから、
生に立体感が生まれるんだと思う。
あぁ、まだ、生きてられる。
だから、幸せなんだと思う。
快楽の追求ではなくて、
いつでも、死の可能性はあるから、
生に幸せは、宿るんだと思う。
殺人者と、
電車の中で会っても、
わからない。
いつどこで、事故や事件に巻き込まれるか?
わからないし、
お金が尽きるとも、わからないし、
病を患って、死ぬともわからない。
現に、僕は、突発的に難病になった人間を、
2人会った事があるし、
僕自身も、統合失調症を患っている。
生きていても、生きる事を知らないのは、
とても苦しいものだったよ。
食べ物が失くなる。
餓死の可能性だって、
現代以外なら、
いくらでもあった歴史がある。
戦争の歴史は、日本が関係ない訳じゃなく、
今も昔も、変わらずに人類の課題のまま残っている。
飽食の時代だからって、
先進国が幸福になった訳じゃない。
豊かさは、見えるものと見えないものがある。
感謝の気持ちがある人は、
いつでも幸せだ。
その有難み=無い可能性もわかってるから、
価値を知る事ができる。
つまり、
馬鹿みたいに、
毎日美味いものを、
食っちゃ寝して、セックスしても、
幸福にはならない。
快楽の畜生になるだけだ。
幸福とは、
自分が死ぬ可能性を考慮できる人間なら、
0ベースで考えられるなら、
その生の価値を知り、
何事も、有り難いと思えてくる人間だけが、わかる。
つまり、
幸福とは、
心の中で、
どれだけ、この自分の生に、
価値が、有難みが、
わかるか?
だけ。
自分の煩悩に左右されては、
思い通りにいかないと不幸に陥ってるのは、
自分が原因なのだ。
生とは、思い通りに生かせ続ける事なのだが、
その執着こそが、人をうまくいけば社会的な価値のある俗世間の幸せにすれば、
逆に、不幸にもする。
100%思い通りになんかなり得ないのに、
人間は、浅知恵でそう思い込み、行動しては、
叡智を知らない愚か者だけがいるんだ。
なるようになるのさと、
有りの儘の、全ての物事や人をそのままにしておくことができたなら、
煩悩を離れて、静かな心地で、何も欲することがないなら、空っぽと揶揄されても、
底には、幸福はあった事に気づけるんだよ。
死を想え。
価値を知り、感謝しろ。
物質に囚われるな。
快楽が、幸福ではないと知れ。
その上で、幸福のまま、
生を謳歌しよう。
どうせ、死ぬんだ。
自分の意志で生きろ。
静かなこの場所で、
全ての人の幸福を願いつつ、
人の悩みは、不幸は、
本当の宿っている愛を知らない渇愛と知りつつも、
私も、まだ、その業火に焼かれている身なので、
とやかくは言えないけれど、
あなたが苦しむのは、
何も関係なく愛は流れていると、
ただ、気づいてないだけだということは、
わかっている。
生きる事は、その背後には、いつも死があることを、
よく覚えておく事だよ。
だから、
人は、何処にいようが、無関係で幸せで在れるんだよ。
ーー終わりーー