人の胸の中に、
ビーカーがあって、
そこには、愛と恐怖の二種類の液体があるんだ。
そんで、その下には、欲望という炎が、
ビーカーを燃やしている。
愛されないという氷だって、あったりするんだ。
僕は、こう人を捉えてる。
これは、例外は無い。
そういう構造を、人はしてる。
だから、
愛の液体を、欲望で熱しては、
それを自分の為に、人の為に、
与え合う事に、その共通の価値観の人同士が、
盛り上がっては、温め合うんだ。
自然界は、とても人の住める場所じゃないからこそ、人同士は、愛で支え合うのは、
自分が生きる為だよ。
それは、ひいては、誰かの為になるんだ。
その受け取った誰かも、その人が生きる事で、
また、別の誰かの為になるんだ。
利他とは、自分が生きるためにする事であって、
自利を以て、利他と成すでありつつも、
そもそも利他とは、自然界では、弱い人間が、
自分の身を守る為に、やる事だ。
社会的な生き物なのは、そういう意味だ。
否定する人は、自分で冷たくしてるのが、
馬鹿だと知ることが無い。
そうするしか、自分が消えるとでも勘違いしてんだな。
要するに、まとめると、
愛の繋がり、仕事、家庭の暮らし、
汎ゆる活動には、
愛を注ぎ合うのが、人間が生きる意味だ。
その注ぐからこそ、その愛の移動には、
意味が宿る。
独りぼっちなのは、自然な事だ。
だけど、決して、独りぼっちの孤独感は、
違うんだ。
誰にとっても、影響力があるから、
それ自体が、存在価値なんだ。
自殺が何でいけないの?
の、倫理を考察するなら、
誰かが盛り下がるからなんだよ。
社会を、否定する。
冷たくする事は、間違っている。
自分だって、苦しいだろうよ。
自分で、自分を冷やすなよ。
本当に、死ぬぞ。
だから、どんな生き方でも、
生きる事に、正解はないけれど、
あなたの生き方は、あなたにとっての正解なんだよ。
欲望の炎と、熱せられたビーカーの中の愛は、
蒸発したら、光を放っては、
全ての人間を包むんだ。
その空気が、いいなと思うよ。
ーー終わりーー