もし、僕が強かったなら……。


そう思っては、

ずっと、憧れ続けてきた。


強がりを、ずっと、言い張り続けてきた。


僕は、弱い。

その弱さが、僕が強さに逃げても、

上手くいこうが、いくまいが、

僕の背中に貼りついては、

自分を生きてない負い目を、

持ち続けてきた。


自分には、価値があるのか?

自分は、愛される価値があるのか?

いつも、ずっと、答えは出やしなかった。


明けない夜中の孤独。

特別へ、羨望と、渇愛の地獄。


歌をYouTubeで聞いた。


僕の大好きなMr.Children。

昔は、殆ど、ALBUMを持っていた。

コツコツと、中学時代から、少ない小遣いで、

買い溜めてきた。


もう、お金に換えちゃったけど、

今は、スマホのアプリで、何でも聴ける。


Sign。

愛の唄。


女性カバーと、桜井さんと、

重ねて歌う僕の声。


再生数は、勿論、桜井さんが断トツで、

勇気もない僕は、YouTubeには、動画は上げてない。


人としての価値が、

何にも関係無く、愛される価値がある。


頭じゃなくて、心で、

僕は、そう気づいた。


本物というけれど、

桜井さんは桜井さんで、自分の歌を歌ってきた。

その実績が、ただ、この歌を、

皆の大好きの求める数が、

皆の中の価値になった。


僕と同じ人間がやったからこそ、

桜井さんは、その価値を築いた。


本当に特別な人間だったなら、

僕は、自分とは全く違う人間なら、

宇宙人なら、僕は関心も興味も共感もしなかっただろうし、

普通の人々の気持ちや、言い切れない情緒や、

光や熱が、その愛を感じられるから、

この歌は、桜井さんしか、創れなかったから、

価値があるんだ。


それに比べて、僕は何をしてきたんだ?


恥ずかしくて、気遅れして、

罪深くて、何も書けやしない。


ただ、駄々をこねる子供じゃないか……。


それでも、僕は気づいたから、

ずっと、逃げてきた弱っちくて、

大嫌いな自分でさえも、

僕が否定した所で、愛される価値があるんだと、

素直にそう思う。

いや、そう理解してるんだ。

いやいや、そうじゃなくて、気づけたんだ。


弱くて、後悔や失敗ばかりの僕は、

僕がどんなに否定しても、

肯定してくれる人々がいる。


自分を否定しても、最後は肯定するしかない。

そして、それが良かったんだ。


否定しては、生きられない。

そんなに、強い人じゃないんだと、

僕自身が知ってるだろうに………。


何も関係が無かったんだ。

愛の前には、何も……………。


赤ちゃんをみて、

価値を感じない人は、

余りいないじゃないだろうか?


心がある人と形容される人ならば、

「あぁ〜、可愛いなぁ」と思うのでは無いだろうか?


その子が、他の子でも、

皆、同じ。


自分の立場からみたら、どんな赤ちゃんも、

何も変わりやしない。


大切にされるべき、尊い生命。


僕にあるのは、特別視という差別。

自分にも、俺は特別なんだと甘やかしては、

普通の人間を軽んじたんだと、

深く、また一つ後悔が押し寄せる。


自分だって、赤ちゃんだったのだ。

どんな人々も、かつては赤ちゃんだったんだ。


何が、上手いから、金があるから、魅力があるから、個性があるから、自分らしさがあるから………。


何も関係やしねぇー❗

愛の前では、どんな人であっても、

尊い生命を持っただけの人間がいるだけだ。


それが、老若男女問わずに❗❗❗


自分でさえ、尊い人間なんだ。

愛されてきた、愛されるに値する価値がある僕は、

同じ人間だと、

自分が勝手に、無自覚に差別してきたのは、

その張本人は、僕なのだ。


全ての現実の黒幕は、

弱くて、甘えてばかりの幼稚なまま、

大きくなった僕だった。


何ができるとか、何があるとか、

何が関係がある?????


なら、僕は、弱さでさえ、愛するに値するはずだ。


弱さ=僕なのだから。


嘘の笑い飛ばせる自分という俺なんか、

本当は、大嫌いなのだ。


もう、嫌なんだ。

現実味の無い、心の無い世界を生きるのは。


僕だけが居ない世界を、傍観するだけなのは………。


自分と繋がれないのは。


僕のアイデンティティは、その弱さじゃないか?


僕は、自分の酷さから、逃げていた。

それも含めて、弱い僕こそ、

愛されてきた強い理想像の俺自身なんだった。


もう嫌なんだ。

天使や悪魔に左右されてばかりの人間を演じて生きるのは!!!


嘗ての僕は、弱い人間だったけれど、

ちゃんと、心があった人間だったはずだ。


後悔や失敗を、自己否定を、

挫折を、絶望をしてきても、

生きたいと狂いながら、

藻掻き苦しんできたのが、

まさしく今の僕なんだ。


それを抜きに、僕だと言えるのだろうか?

いや、誰も言えやしない。


そんな自分こそ、愛されてきた僕だったし、

僕が、愛するべき、今ここの俺自身なんだった。


俺は、弱い人間だ。


偉そうに、強そうに、威張ってる様な、

本当に、碌でもない僕なんだ。


素晴らしい自分は、幻だった。


だからこそ、僕は、俺は、

愛されていいんだ。


自分に、自分から、自分であると、そう決めるよりも前に、愛はあったんだ。


そもそも愛はあったんだ。

そもそも価値はあったんだよ!


もう、外側に自分の価値を探すのは、

やめよう。


素晴らしくない僕=俺こそ、

愛されていい価値がある

みんなと同じ人間で、

素晴らしいんだ。


愛を、貰いたいといつも思いながらも、

本当に、愛を受け入れるのは、

本当は、とてもとても難しい。


自分を素晴らしい人間と認めるのは。

許すのは。

理解するのは。

信じるのは。

大切にするのは、とてもいつも難しい。


弱い自分こそ、そのままでいる強さを持つこと。

そう、僕は、弱いし、

もう、強かったんだ。


愛の前では、何も意味が無いんだ。

価値もないんだ。


自分が、ジキルとハイドを辞める勇気をと決める。


もうとっくに自分を生きてると認める事だ。


自信なんかはなかった。

ある訳が無い。


僕が今ここの自分を、

信じる瞬間が、今ここからがあるのだから。


先に差し出せるのが、

大人になった、自分を愛せる僕=俺なんだ。


そういう事だったんだろ?

なあ、神様???


自分を愛して生きる事が、

人の道は、愛の道。


愛するだけが、独行独歩の夜を超えた、

今の自分だし、

これからの自分に、少し期待するよ。


ーー終わりーー