僕は、非正規の障がい者だ。
失敗ばかりが、人生だったし、
酷い人間になったと思う。
このまま、親が死ぬ迄、
現実を見ないで生きる訳にはいかないと思ったし、
妄想ばかりしてる訳にはいかない。
もう、手遅れなんだと思う。
現実的には、そうだ。
特段に、能力が優れてる訳でもない。
だけど、僕は思った。
結局は、お金で買える幸せはあるのだけれど、
幸せって、あんまり、関係ないんじゃないか?
何というか、お金がなくても、
充実してる暮らしをしてる人もいるし、
楽しんで、一人でも幸せに生きてる人もいれば、
お金がたくさんあっても、
死ぬ人はいる。
じゃあ、なんで、そーーなるの!?
って、考えた結果。
自分を愛せるか?
どれだけ大切にできるか?
なんじゃねーのか?と、
本気で、0.01秒考えた結果、そーなった。
んで、お金に頼らないで幸せに生きてたら、
たぶん、貧乏はするだろうけれどというか、
貧乏を進んで受け入れていけば、
なんだか、困る事はないんじゃないか?と思う。
むしろ、お金や上昇志向をいつまでも、
引き摺ってる人の方が、(昨日までの僕だ)
どんどんと無闇矢鱈に、頑張り続けて、
自分なりの成功を喜べなくて、
妄執しまくって、執着しまくって、
楽しめないで、苦しいままで、
毎日が徒労感で一杯で、辛くなるんじゃあねーのか?と、思うのだ。
〇〇があれば、幸せっていうのは、
(〇〇とは、現実的な物事。)
もう、ハードルが高いし、
本当は、お金があればも、嘘だし、
能力があればも、嘘だし、
自分が魅力的ならとか、
友達がいればとか、
人生のパートナーがいればとか、
いやいや、お金の為に、
のんびりする幸せが失くなるなら、
意味ねぇし、
人間関係は、疲れるぞ!と思うのだ。
僕は、一人が好きだし、
特段、自分を愛してられる時には、
全く、孤独感はない。
逆に、愛してない時は、死にたくなるぐらいに、
もう、真っ黒な闇に染まる自分がいる。
という両極端の経験が、あるので、
実感としてわかってるんだ。
んで、自分を自分で大切だと思えたなら、
外側の些細な事でも、何でも、
大切にできる分だけは、
幸せな気分が還ってくると思ってる。
だって、この世というか、
自分が生きる世界は、
全部、幻でありつつも、現実であって、
因果応報の法則が働いてるからだ。
欲しがるのをやめて、もう、求めないと決めて、
委ねる事をしたら、今日は楽になった。
結局は、幸せに生きた者勝ちというか、
人間の最上級の価値とは、幸せ以外に有り得ない!
…と思うぞ。
なので、自分がどうであれ、
全部引っ括めて、自分で良いんだ!
というか、もう、ここにいるのが、自分なんだと諦めて、受け入れたなら、
いやいや、良いんだ!というか、
もう、滅茶苦茶に、愛していいんだ!
ぬははははははは❗
と、生きたって、別に、
その自分に対する愛は、どれだけ愛しても良い訳なので、やったもん勝ちだと思ってる。
何があろうが、なかろうが、
いやいや、まるっと、サクッと、
愛したら良いんだと思った訳だ。
自分がそ~思ったなら、
そーやればいいだけなんだ。
という訳で、
お金を増やすことや、
お金を使う幸せは、諦めた。
もう、無理っしょ❗❗❗w
つか、やりたくない。
なので、貧乏に生きつつも、
幸せに生きりゃあ良いだけだ❗
という訳で、
まあー、今ここに生きてるだけで、
幸せっしょ〜〜〜♪
と、滅茶苦茶に、ありがてぇーーな、おい❗❗❗
と、僕は、全てを感謝しまくるという寝る前の習慣は、確かに、僕を幸せな気分にしてくれてた。
何故?この習慣ができたかというと、
幼少の頃の壮絶なる勘違いから、
親が僕を殺す人かも?と、
本当は、ただの強欲で傲慢な善人なのだけど、
思い込んで、
どうせ、今日、意識が途切れて、寝たら、
明日は、殺されてるかもしれないと思ってた頃に、
どうせ死ぬなら、それでも、両親に感謝だけはして、僕は良い人間として、死にたいと、
本気で、馬鹿みたいな勘違いをしてた事があったので、
寝る前に、感謝を数える習慣ができた。
から、かれこれ、30年間位は、
やってる。
続けてるのが、偉いというか、
途中で、なんで?朝、殺されてないんだろ?と、
未だに、朝の意識がはっきりしてない時には、
そう思ってたりするのが、
自分でウケるwww
なので、
愛と感謝だけしてたら、
幸せには暮らせるというのも、
僕の生きてきた実感なので、
良い人間を目指せばいいんだよ!と、
散々、ブログでお勧めしてたのは、
こんな訳があったりする訳だ。
ボブ・マーリーは、言った。
自分を愛して、
愛する人生を生きろ!と。
本当に、幸せに暮らして、
生きてく事は、
それだけなんだと思う。
やりたいこともないし、
目指したい自分も、もういないし、
やるべきことは、あるけれど、
だとしても、
まあ〜、幸せに暮らしたいのは、
人間皆一緒っしょ❗
と思う。
なので、これからは、貧乏しながら、
幸せに暮らすぜ〜〜♪
と、思った。
反省した。
外側の価値観は、人のものであって、
自分のものではない。
僕は、楽しく、のんびりと、心穏やかに、幸せに、
独りで生きていきたいと、切に願う。
生きていく執着心は、
本当は、あんまりないけど、
まあ〜、生きてる間は、どうせなら、
幸せな気分でありたい。
子供の頃に、寝る前に、考えたら、
仏教の教えが思いついた事が、
今更になって、
自分の身になってる。
でもまあー、仏にはなれないと思うけど、
仏は仏であって、自分は自分なので、
自分らしさが、仏の道ではないと思うので、
知ったこっちゃない。
自分は、このままで良いんだから、
このままでいよう。
反省と感謝と愛で、生きていきたいと思う。
お金は、使わない幸せで暮らそうと思った。
だから、これからも、独行独歩で、
カモメはカモメ。
虎は虎。
魚は魚。
ナマケモノは、ナマケモノ。
カバはカバ。
ワニはワニ。
俺は、俺。
肉食獣の様な社会の価値観は、
放っておいて、
俺のまんまで、のんびりと珈琲啜ってりゃいい。
幸せに暮らす。
そう決意したりした。
偉いぞ、己。
ーー終わりーー