僕は、自信がないままに、

強がり続けては、自分が愛されていた事も受け入れずに、今ここにいる意味もわからないままで、

生きてきた1人の男だ。


ずっと、自分を信じられたらいいのに……と、

願い続けてきたし、

その為に、散々足掻いては、努力は人一倍したのではないか?と、それは自信を持って言える。


だけども、それが直接、努力して、

何かができたからと言っても、

僕の自信になったか?というと、

まるで、そんな事はない。


だって、比べたら、自分よりも上手い人も、

上をみたら、切りが無い。

終わりがない地獄の螺旋を堕ちていくような、

それが僕の自信をつけるために、

あれこれと手を出してやってきた道のりだった。


じゃあ、どうしたら、

自信を持てるか?っていうのは、

これは、答えから言っちゃうと、

存在の代替が利くのは、「能力」なのだけど、

僕の存在価値は、

「人が、人から愛されていい資格の有無」が、

無尽蔵に、

僕も、周りの人も、

どんな人であれ、同じくあるってことに、

気づいたというか、

頭でわかってたことが、腑に落ちたから、だ。


そこに、差はないし、

能力がどうであれ、今ここに存在してるのは、

あなたであったり、僕であったりするのは、

誰かには替えられないのだ。


シンプルに、今ここに僕がいたら、

他の誰かはいないことになるってのは、

そんなのは、当たり前だ。


その絶対性は、即座に、僕の存在の意味になる。


これは、頭でわかっていても、しょうがない事の1つだ。


例えば、あなたがどんなに、野球をしてたと仮定したとして、

バッドにボールを当てたら飛ぶ理屈をわかっていたとしても、

時速150㌔投げられたら、当たらないような、

そういう種類の話になる。


あなたは愛される資格が無尽蔵になるって、

誰かに言われても、ピンと着てないなら、

まだ、あなたの中では、腑に落ちて、わかってないから、しょうがないんだ。


これは、人の存在を、自他問わずに、

差がないと、はっきりとわかってるかどうか?

が1つの問題になるし、

その人の存在そのものの価値の素晴らしさを、

あなたが軽視してるか?差別してるか?

の問題にもなる。


どんな人であれ、同じ人と、

これもまた、先程の野球のボールの種類の「わかる」必要がある。


簡単な話で、悪い人はいない。

誰でも、「悪い行動をしたら」周りの人に、

「悪い人」に認定されるだけの話だし、


それは、素晴らしい人間がいない話と、

全く同じになる。


つまり、

人とは、「存在」価値と、「行動」価値のコインの両面のような裏表があったりする。


その存在価値と行動価値を、

ごっちゃにしてるから、

問題は、複雑化するだけなんだ。


というか、問題は、ごっちゃにしてるから、

何事も起こるし、複雑化するから、

解決しない。


結局のところ、どんな人であれ、素晴らしい存在価値は、等しく無尽蔵にある。


どんな極悪人でも、

ヒトラーでも、核爆弾を落とす命令をした人でさえも、あなたと私も、存在価値は等しい。


某ポピュラー心理学では、

それをわかることをダイヤモンドを思い出すと、

格好良く言ってる。


が、行動価値は、全く別のベクトルであって、

悪いことをした人は、悪いのだ。


その悪い事とは、周りの人が決めることだ。

現代法治国家なら、そうなってる。


周りの人のご都合主義で、

迷惑扱いな存在なら、

それは、勝手に「悪いこと」にされたりしてまったりもする。


アウン・サン・スー・チーさんとか、

共産主義国家自体の良し悪しは、

知らんけど、

実態としては、周りの人にとっては、

民主主義の先導は、罪になったりするのは、

人の理論よりも先に、現実という実存があるからである。


要するに、リアルなんだよ、現実っちゃ!って意味だ。


自信をつけるのは、

割と簡単な話で、

自信がない人とは、自分に自信があったことを、忘れてるか?

綺麗な私に逃げて、無自覚か?どうか、

誤魔化してるか?

であって、

それを汚いというか、ありのままの自分、

素の自分でオッケーと認めたなら、

自分を思い出したなら、

そもそもあったって気づくだけだし、


はっきりというと、

自信とは、先に信じるから、結果は生まれるものだ。

ただ、それだけだ、本当に。


そうなると、自信のつけ方というか、

要は、信じるから、信じられるようになるぐらいの論理しか、話はなくなる。


前書きが超長くなったけれど、

本題に入りたい。


ブスは何故?もっとブスになるのか?

だ。

(なんちゅう酷い事を、書いてるんだろう?www)


違うんだ!

そもそも男は、薄化粧でいいんだ!

って、話なんだよ。


それをより綺麗になろうとするから、

余計なモノを継ぎ足しては、

ブスは、よりブスになるんだ❗❗❗


って、話を考えたくなった。


これは、先程の存在価値と行動価値と信じるか?どうかの話をしておかないと、誰も話についていけなくなるから、

書いてみた。


(こんなの読むのは、かなりニッチな超頭のいい人だけに限られてるのにwww)


こんな声が聞こえそうだ。

「でも、薄化粧でいいのは、元の顔が良い人に限られてるでしょ???」


違うんだ。


それでも、その顔が好きだというもの好きは、

世の中には、そんな男はいる。


いるったら、いる。

レアキャラだけど、いる。


そんで、どんなにブスでも、男は薄化粧が好きだ。

というか、女の美的感覚に、男はついていけない。


感性が、どうしても性差で違う生き物だ。


だけど、ブスは、何故?よりブスな方に、

自分では、お洒落になったぁ〜♪と思い込んでは、

いや、本人が、私は男ウケの為に、お洒落はしないわ!というなら、それはそれでいいんだけど、

いやいや、男と女なら、やっぱ、

モテたいのが、人間でしょ!

と、勝手に僕が決めつけてるので、

この本文では、強引にそれを正解として、

当てつけて、勝手に話を進めたいと思う。


それは、先程の自信がないから。

が、そのブスな人には、あるからなんじゃないだろうか?


そう、人はプラスを増やせば増やすほど、

勝手に、自信をつけるような生き物だ。


私は、これだけあるから、大丈夫でしょ!

これが、お金の話なら、誰でも、この心理がわかると思う。


違うんだ。

それでも、男がほしいのは、薄化粧というリアルなんだ❗w


これは、相当の自信強者しか、できる芸当ではないと、馬鹿でもわかると思われる。


つまり、薄化粧とは、私は、地が良いんで❗と、

素材を、差し出す事の強さがある。


これが、高級料理勝負番組なら、

こうだ。


相手は、コテコテに料理テクニックを駆使して、西洋料理でいってるのに、

こちらは、超新鮮で、美味しいと自負してるから、

魚を捌いて、そのまま刺し身で差し出すようなものである。


美味いのは、こっちだろ?

って、わかってる猛者しか、そんな度胸がないわけだ。


つまり、薄化粧できる女とは、

これが真に理解してる、かなりの度胸あるか?

本当に、自分の良さというか、

存在価値がわかってる強者か?


単に、ズボラな怠け者しかいないwww


これは、女だけに他ならず、

単に、面白おかしく、女性を描いたけれど、

どんな人であっても、

性差、というか、性も関係がなく、

言える構造をしてるわけだ。


本当に、自信がある人は、

無用な付け足しの価値を増やそうとしない。


ちょっと、整えるぐらいしかしない。

これが、最強の人である。


無用な付け足しとは、

職業や資産=お金の多さ少なさ、

趣味とか、学歴とか、

パートナーがいるとか、

異性からモテるとか、

あらゆるステータスは、関係がない、


何が私にあるか?ないか?

は、全く、私という人間には、

何も影響がない❗❗❗と、

堂々と、刺し身で勝負できる裸一貫の人間である❗❗❗❗❗❗

と、存在してる人は、

この弱肉強食の世界を抜けられるというか、

抜けてるし、

そんなのは、興味がないと思われる。


だって、死んだら、あの世に持ってけないし❗って、本当に理解してるなら、

まあ、三途の川渡る銭だけ、最後に残ればいっしょ❗❗❗で、終わる。


実際に、火葬する時に灼かれたお金が、こんがりした人の骨と共に、あったりもする。


つまり、

私に何も無い!と、思う人は、

まあ、何かを見つけてもいいのだけど、


何かを見つけたと、そのステータスに満足してる人々に、


最強の僕が言うなら、こうなる。


意味なくない、それ???


んで、全く、人の存在価値基準に、関係なくない???


僕にも、特に人に誇れるものは、

立派なマグナム以外には、ないのだけどwww


(下ネタwww BANZAI!!!!)


まあ、何も無いなんて、

本当のところは、誰もが、

何も無いところから、

何も無いところへといくだけなので、

まあー、間に何があるか?は、

あなたの存在しか、無いのだし、

あなたが、いやいや、確かに、私はこれを見つけたのだ!と、思われるなら、

それは、あなたにとって、あなたに意味があるのだから、

あなたが見つけたという「価値を見出す存在=人の存在」なので、

それは、それで◯なのだ。


実際の所は、

何もかも、自分には、意味がある。


この意味を見出すのは、

冒頭に申し上げた通りに、

人の存在価値があると、

腑に落ちて、わかってる人しか、

頭でわかっていても、

しょうがないことなのであります。


まあ〜、あれだな、

笑っちゃいけないと思っていても、

笑っちゃう(失笑の本来の意味)

みたいなのが、つまり、リアルな世界であります。

(現実主義者なので、私は。)


なので、逆に、色々と足しすぎて、

分けわからなくなってしまったら、

次は、引き算することを、

僕はオススメしたいと思う。


そんで、次の価値の記号が変換されるだけで、

本質は、プラス思考で、全然変わらなくて、

私って、大人でしょ?って、

言ってる子供のような大人が多いなと思うけれど、

まあ、霊格が高すぎる私からみたら、

今生で本物に会うことは、もう若干、諦めてるので、しょうがないなと思ったりしてます、はい。


違うんだ。


得しよう!から、

損しよう!


って言って、

何でもかんでも、ありがてぇーーー!

って、周りの人の存在や行動を、

あなたがどんどんと低くなって、

周りの人を、山脈の如く、神の如く、

思えるぐらいになりなさい!


って、言ってるんだけど、

まあ〜、魂がまともな人しか、

わからないと思うから、

別に、したければというか、

魂が成長した人から、勝手にやると思われる。


つまり、

僕の生きづらさとは、

この周りの人と全然、噛み合わない、

魂の霊格の高さが、

高すぎると、低そうに見えるのと同じ理屈があるからだったりするわけだ。


馬鹿と天才は、紙一重のように。


魂の最終は、無我に到るし、

例えば、武の極みは、無に到るし、

この人間社会から解放された人は、

例えば、道教の仙人のように生きる様になるんだよ。


人の極みが、悟った人ならば、

この人生が何であれ◯で囲む必要もないとわかるし、

この無こそが、本当の無償の愛と気づける。

その境地に達する。


お分かりか?


常識では考えられないアンビリバボーを、

あなたは、この文章で、眼にした訳だ。


僕に出会って良かったね〜〜♪www

(自分で書く俺www)


あはは〜〜〜♪


つまり、あなたは神様の如く、完璧な存在なんだ。

人の行動が、いつまでも未熟でありつつも。


僕も、同じ人であるし、

あなたも、同じ人である。


どれだけ違いがあってもいいし、

行動には、良し悪しや、Level(実力)の違いが、

歴然とあっても、何も関係がなく、

存在は、愛される資格があるからこそ、

人を、本当の意味で愛せるのだ。


人の魂が、学ぶ最終課題には、

行動にではなく、

存在にこそ、愛は宿ってると気づけるように、

神様は、取り計らってくれてると、

僕は、信じてる。


あなた様の現実がどうであれ、

自分を自分で自分から、大切にするんだよ。

いいね?

約束だよ。


つまり、その上で、

人は、神様から、こう生きよう!と諭されているのだ。


あなたも、誰かを愛せるのだ、と。

それが生きる意味であり、

僕は、人を愛するが故に、ブログを書いてる。


誰しもが、魂の役割があって、

人は、「愛」する事が、

本当の使命なんだ。


その使命とは、氏名であり、

それが大層な事ではなく、

自分にとっては、単なる趣味だったり、

極普通の事なんだ。

そうゆうものなんだよ、生きてる内にやりたいことをやるということは。


あなたの人生に、祝福の音が鳴り響きますように。



ーーー終ーーー