谷村新司さんが、
亡くなった。

僕が知るのは、
サライと昴と、
遠くで汽笛を聞きながらと、
チャンピオンとか。

子供の頃から、
ちょび髭のおっさん。

それだけで、特に思うことはない。
けれど、
人が死ぬんだから、
関心がなくても、
その運命は、僕も同じ。

それでも、
僕も夢破れた人間で、
遠くで汽笛を聞きながらの楽曲には、
とてもとても励まされた。

何度も聞いた。

上京失敗して実家に帰ってから、
まさに、僕の家の近くには、
人の少ない2両編成の無人駅があって、
その線路から、ガタガタと1時間置きに、何処かで東京へと繋がる電車が動いてる。

よく調べると、SLもイベントで、
走ってたのは、地元の新聞で読んだことがある。

5分もかからない線路の興味がないから、後で知った。

病気で、ベッドで、
気が狂いそうになりながら、
音楽しか聞けることがなく、
ぼーっと、天井ばかりを見つめてた時期があったし、

落ち込んで、
ずっと生きていた僕には、
その楽曲は、
悩み続けた日々が、
まるで嘘のように
忘れられる時が来るまで
心を閉じたまま
暮らしていこう

の歌詞の通り
今の僕も
何も良いことが無かったこの街で

幼い心に秘めた
虚しい涙の場所を

僕にくれたのは、
この唄なのかと思う。

人生なんて、
勝とうが、負けようが、
せめて、一夜の夢と
泣いて、
それでも、
自分の言葉に嘘を、もう、つくまい、
もう、人を裏切りたくないし、

生きねばでも、
生きるしか無いじゃなくて
生きていきたい

そう、今は、
この言葉の通りだなぁと思う。

この暗い楽曲には、
光が差していて
僕は、よく聞いて、
なんとか、また、社会復帰をして、
熱帯魚屋で、
働いてる。

日本人は、気持ちを優先する人で、
こんな事は、非常識で、
受け入れられない国民性なのは、
承知の上で、
書くんだけど、

人間の最期が、
集大成が、
皆の悲しみで埋まるのが、
故人を偲ぶのが、
本当に、亡くなった本人は、
喜ぶんだろうか?
と。

その悲しみは、
周りの人のエゴじゃないか?と、
そう思う。

僕は、メキシコ人の血が流れてるんじゃないだろうか?
と、甚だ思うのだけど、
彼らのお盆=死者の日は、
僕もよく知らないけど、
骸骨の人形やらで、
ちょっとしたお祭りみたいらしい。

僕は、そんなには
谷村さんの大ファンじゃないけれど、
谷村さんじゃなくても
どんな人であっても、この現世に、貢献してくれた人なのは、変わらないから、
それが与える側であろうが、
お金を払う側であろうが、

この国がチームなら、
というか、
地球人というチームなら、

生きとし生きるモノが、
人であれ、動物であれ、
例えば、イソギンチャクであれ、
生存競争という過酷な世界という共創に、
生きてくれたなら、
それは、どんなに大嫌いでも、
どんなに、自分に被害を出した何かであっても、
同じ時代と、
地続きの世界を生きてくれたモノだから、
同朋の様な感覚に、
深夜で、考えてしまう時には、
そんな事を考えてしまう。

だから、
心が通おうが、
通うまいが、仲間だと、
位置づけたい。

なので、
人のエゴで、
その自分の哀しみは、
ある意味、その人を惜しむ価値であるのは、間違いがないけれど、
それも勿論、自然なことで、
別に、悪いことじゃないんだけど、

なんというか、
それは、少し幼い人のことのすること。のような気がしてる。

まあ、実際の大人なら、
葬式の体験はあると、
思うけれど、
焼いてる時には、
なんか食いながら、飲みながら、
なんかその故人どうだとか、
全然関係なく、
久しぶりにあった親戚と、
近況の交換をしてたりする。

韓国は、
かなり号泣してたりするイメージだけれど、
日本は、そんな感じ。

僕の好きなメキシコのイメージは、
死者とまた会えると、
仲間が帰ってきたあ❗
みたいな陽気な雰囲気なのだ。

でも、現実は違うから、切なさは、
漂うんだろうなと思う。

まあ、人の死生観は、
それぞれだけど、

どうせ、人間は死ぬんだから、
自然なことだよなと、
受け入れるしか無いような気がしてる。

それを、感情的になったり、
ポジティブも、
ネガティブも、
何のへったくれも無いと思う。

なんか知らんけど、
この世界に産まれ落ちて、
なんか知らんけど、
あら?傷の治りが悪いわ!
とか、
あ、こんな所から、白髪がこんにちは!
と、
老けていき、
なんか知らんけど、死ぬんだ。

悲しいとか、怖いとか、
まあ、嬉しいとはならないけど、

別に、
まあ、可愛いメダカも、
今日の献立に上ってる生物の命だって、
美味しくこんがり、
僕の胃袋にこんにちはーーというのは、
豚さんだって、別に死にたくはなかったし、
なんだって、
生き物としては、自然なこと。

なんというか、
僕の目線は、とてもフラットなんだ。

どんなムカついたり、
憎んでも、人は死ぬし、
どんなに
幸せに、豊かに生きても、
いつかは、骨よ。

なんだ。

それを、悲しみとも、
思うなとは、
決して言わないけれど、

まあ、そんなもんだよなのが、
実際なんだ。

まあ、生前の生き物は、
美味いモノ食ったり、
笑いながら、酒のんだり、
セックス、超気持ちいいとか、
感じたり、
真剣になって、
仕事をしたり、

遊んだりしてたりするし、

そもそも、愛されてたから、
全然関係がない僕も、
谷村さんも、
同じ様に、色々と感じたり、
色々なことを、考えたり、
悩んだりしながら、
生きてたんだなと思う。

別に、それは、誰でも、
生き物としては、同じ。

どんな人であれ、
色々な分野で、
勝ったり負けたり、
しながら、生きてるし、死ぬ。

うまくいったり、いかなかったり。

最後まで、生きたんだ。

なので、
お疲れ様でした。

ぐらいは、
どんなに身近じゃない生き物でも、
同じ生き物としては、
思って、いいんじゃないだろうか?
と、
遠くで汽笛を聞きながらを、
聞いた。

次の瞬間には、
忘れる。

それもまた、生きていく事だったりもする。

ずっと、同じ事に、
執着してるわけにはいかない。

僕は、まだ、生きてる。
生きていきたいなと思う。

そう色々な事を考えたりする事が、
僕が谷村さんへのせめてのもの死の旅路の手向けだ。

お疲れ様でした。

ーー終りーー