自分に価値がないと決めてしまったから、

自分にとっての幸せは何か?なんて、

考えたことはなかった。


ようやく、考えてみようという気になった。

だって、存在価値は、疑うことができないと、

散々考えた結果、わかったからだ。


ともあれ、幸せについて、考えられる自体が、

現実が逼迫してない事を示していて、

現代の科学や文明、技術、知識の宝庫の様な世界の先進国の日本でいられるからこそ、

1人で生きる事ができるのだ。


それは、幸せの実感なんかなかったしても、

幸せな状態と捉えてもいいと思う。


僕の頭の中では、

結論が一つある。


幸せは、愛の中に安心していられること。


それは断じて、争いの中にいることでもないし、

わざとらしい快感や、興奮の中にあるものではない。


調和の中で、

皆と共に生きれてるなら、

素晴らしい事だ。


とはいえ、これは、

家庭の中等のコミュニティの中に生きればいいという訳では無い。


人は、1人で生きる。

確かに、周りの人へ、助けてもらい、助けたりしながら生きる。

縁と宿命がある。


それと、コミュニティの自分も、

個人としての自分も、

それは、分つことはできない。


白鳥のV字飛行のように、

1人で、ちゃんと飛びながらも、

周りの人と協力する事しか、

人は生きる術がない。


つまり、

物理的に、一人であったとしても、

間接的にも、直接的にも、

何処かの群れの人々とベッタリと過ごさなくても、

自分の力で飛びつつも、お世話されてるし、しているから、

例えば、愛の中にいる事は、

1人で暮らしていたとしても、できるし、

逆に、皆の中で生きていても、孤独感が募る時もある。


それを突き詰めれば、愛の中にいるとは、なんぞや?と、問えば、

それは、自身の心が、愛のマインドであるか?

弱肉強食の争いの動物的な心か?

奪い続けても、足りないと思ってしまう心か?

何の希望の光も見えない真っ暗な闇の心か?

享楽に耽るだけの心か?


そんな風に、心は六道と同じ。


愛のマインドがあるからこそ、

有り難さという価値を自身が見出して、

やっと、人は、ありがとうという気持ちが持てる。


有り難さをわかるのが、自分なら、

その価値という恵みが、自分に享受されてるということは、愛を受け入れる事に、他ならない。


愛を知ったなら、

自分も外側の世界を、愛せるようになっていく。


それは、

普通の暮らしの中に、

「ああ、なんかいいなぁ」と、思えるなら、

どんなに悲惨な過去があっても、

縛られず、


どんなに先行きが見えない将来の不安が絶え間なく吹き込もうとしていても、

ビクともせず、


今ここの瞬間だけを、心がフォーカスしているなら、

誰と比べることは、ナンセンスな事であり、

誰と競うことは、意味なんか何もなくて、

誰かと争うことは、愛のベクトルとは、真逆で、

お互いに不幸を呼ぶだけとわかるから、


単なる普通の暮らしが、

どれだけの人々の努力と知恵が見出されたモノたちのお陰で、自分が生かされてるとわかるなら、


例えば、天涯孤独な人生だと、周りから揶揄されても、真の幸福は、

お金だけでもなく、

力だけでもなく、

有るものに囚われる事でもなく、

無いものに囚われる事でもなく、

それは、本人の心が、愛に根差してるなら、

どんな状況下であろうと、

本人は、「ああ、私は幸せですよ」と、

笑顔でいられると思う。


どんなに、普通の暮らしが、毎日が、

どれだけの変わらないように思えたとしても、

変化しない事はない。


全ては、流動する。

万物は、変化する。

諸行無常。


常ならずなのに、人は錯覚してしまう。


生老病死に囚われて生きるのは、

今ここにある価値と、

愛する心が無くなることは、

どんなに豊かな状況下であっても、

不幸だ。


いづれ死ぬのだけれど、

今ここの自分が生きてるなら、

それでいいじゃないかなと思う。


決して、豊かさの放棄を勧める訳でもないし、

増やしたいなら、どんどんとやればいいと思う。


だけれども、

生きてる内に、味わうのは、

些細な日常生活の中で、

愛の心を胸に秘めて、

「ああ、幸せだな」と思えること。


安心の中で、そう一つ、1日の中で呟けるなら、

誰がなんと言おうと、

関係なんか無く、

本当の事は、自分だけがわかっていればいい。


幸せとは、考えることではなく、

そう思えるか?どうかだ。


あの人は、あの人の人生があり、

この自分は、この自分の人生がある。


何があろうととなかろうと、

愛する自分を生きるなら、

この人生を愛したらいいんだよ。


それが本当の幸せだと、

私は思う。


愛されるべきあなたは、

あなたを大切にすればいい。


酷い言葉を投げつけるよりも、

どんな些細な事でもいいから、

褒めてあげましょう。


今日、生きれた。

そんな事と捉える必要もない。


生き物にとっては、

それが1番なんですから。


私にだって、

思い通りにいかなくて、

こんな風にしか、生きれなかった……という思いがあったりもするのだけど、

思い通りにいったパラレル・ワールドの自分よりも、

そんな思い通りにいかなくても、

懸命に生きてきた私を、

決して、手放してはいけないし、

その自分を、誰よりも愛すべきなのは、

今ここにいる私なんだと思うよ。


自分を理解できるのは、

私だけなんだから。


自分だって、素晴らしい。

自分だって、よくやってきた。

自分だって、事情があったんだ。

自分だって、良いじゃない。


どんな人でも、この大空の下で生きてるだけ。

意味なんかないさ

ただ、暮らしがあるだけ


それは、そうだけど、

自分にとっての意味も価値も、

自分だけは見出してあげたなら、

あなたは、立派なのだから、

これからは、幸せに生きてみない???


強さや弱さは、

幸せには、関係ない。


あなたの心に、

知恵がありますように。


幸せと思えますように。


そう願って。


星と月に祈りを捧げて、

太陽か昇ったなら、

また、1日を頑張りましょう。


また、明日。


ーー終りーー