自分の幸せに暮らす事が、
主たる、自分にとっての生きる意味に値するのは、
誰も否定も異論もないと思える。

だけど、
もう、そんなのはいらないから、
映画のエンドロールが
今この瞬間に流れてはくれないかな?
と、思う時があった。

それは往々にして、
僕が、生きる苦しみから、逃れたいのが、
いつもの気持ちだったけど、

同じ事を願うこの瞬間だけは、
もう、違う。

先が見えない苦しみや
戸惑う人間関係や
心無い言葉や
夜の淵にぽっかりと浮かぶ孤独感の影は
跡形もなく、
太陽の下で消えてしまった。

これからも、
生きるだけなんだけど、
発展性はなくていいな。

もう、満足だな、と、
布団の中で、
安堵できている。

それができなくて
いつでも、どこでも、
僕は、心身ともに、萎縮してるだけなのが、常なのだけど、

なんかもう、
どうでもいいなって、
やっと、思えて、
前後際断じゃないけど、
暗く苦しい過去も、
将来の不安も、幸せさえも、
なくていいって、
そう思うから。

僕にとって、
よくわからないことで、
突然、血相を変えて怒り狂う両親は、
不安の材料だったし、

他者も、よくわからないし、
自分が正しいと思ってる群衆は、
いつ何をしてくるか?
わからないから、
不安の種でしかなかった。

リラックスしていいか?
判断をいちいちしなくてはいけなかった。

だけども、
そんな風に、いちいち人を気にして、
顔色を伺う必要もないし、

自分さえ、
今の僕を支配するような人に、
置き換わると思う。

だから、自分も、自分のようで、
自分じゃないと思うから、
味方ではなかった。

自分でありながら、
自分は、いつも心の奥に、
いない方がいいんだなと、
そう思うのが、
真実の僕の本音なのが、
迷う事なく、
それは真実だ。と、判断する必要もないし、思考を巡らせる事もない。

ただ、もう、僕は僕でいいし、
人に何を言われても、
僕は、僕の意思を行使して、
自由に生きていい。

もう怖がる必要がない。

だから
この1つ、胸の内の安堵する気持ちに
今までの自分の頑張って、
生きてきた努力のような
足搔きは、

決して、無駄なんかではなく、

ああ、死ななくてよかったと、
今日も、泣き虫の自分らしく、
古い空気を吐き出しては、
返す波のように、
新しい空気を、
体中に、取り込んでいる。

僕は、今ここに生きていいという気持ちのままで。

おわり。