戦わずして勝つのが、
最上の策?
のんのん。
戦わざる者にこそ、
幸せは、やってくるよ。
それがいい。
人になにか言われても、
ああ〜、そうですねぇ〜〜。
って、心の中でも、
非戦を貫く。
そうすれば、
敵はいない。
自分も、楽ちんでいられる。
そうですねぇ〜って、
言えば、
自分の正義にも拠らないし、
絶対に負ける事もない。
否定も肯定も、しなくていいし、
自分の意見なんか、なくていい。
硬くなるのは、
この世の戦いの全ての人の力にはなる。
どんな言葉でも、
どんな分野での実力でも、
社会的に賛美されるのは、
そんな硬さだったりする。
でも、僕は、死ぬ迄、戦う気はない。
パーを出したい。
勝つためじゃなく、
緩やかに、穏やかに生きていたいし、
僕のグーは、硬くないから。
ずっと、パーを出して、
チョキに、散り散りにされる日があるとは思うけど、
やぁ~、破られましたよ!
と、笑えるだろう。
包み込む力だけが、
僕の才能と、思いたい。
グーの硬い意思の力と、
パーの包む力と、
チョキの切り裂く力。
それでも、負けたって、
自分が楽なら、
それでいいから。
グーは、現実主義者。
パーは、理想主義者。
チョキは、冷笑主義者。
どれもが、
この世で、
三竦みのじゃんけん大会を、
開いてるんだろう。
それでも、
勝って、笑えるのは、普通で、
面白くない。
負けても、それでも、笑えれば。
自分の心が、○ならば、
勝ち負けに、負けることはないから。
敵を作り、
やっつける戦闘力なら、
ない方がいい。
自分の頭の中のエゴが、
敵を作る。
なら、エゴを止める力は、
あった方がいい。
それは、
この世界の人も、
自分も、愛する力であって、
それは、矛を止める力なので、
僕の中だけのエゴの息の根を止めるだけの武力行使だ。
今も昔も、幸せ。
でも、
1つ、言えるのは、
現実主義者が、
突き詰めると、
現実は、理想の中にあったという事になるし、
理想主義者が、
突き詰めると、
理想は、現実の中にあったという事になる。
冷笑主義者が、
突き詰めることはなく、
どこにもいかないままだ。
笑えなくなるのが、オチなのだろうな。
現実者義者は、
もう少し、昼間にリラックスを試みのがいいし、
理想主義者は、
もう少し、武装して、今夜は出よう!としてもいいし、
冷笑主義者は、
もう少し、本当に笑えるのは、何だっけ?と、
自分の心に、素直になるのがいい。
少なくても、
あなたの中には、
いつも、三角形が渦巻く時がくるだろう。
そして、
自分は、これがよし!と思う価値観を形成されてたと気づくだろう。
どれか1つに寄っても、
にっちもさっちもいけないなら、
現実主義者は、
力だけじゃなく、理想(愛)を見てもいいし、
逆もしかり。
冷笑主義者は、
その冷たさが、外だけじゃなく、
自分の心を冷やしてないか?
と、自分の心を温める事に、目を向けたらいい。
そういうのが、
僕なりの自助論に値する。
真に、現実主義者が、力の愛の意味が、
この世の何処にもあると知り、
理想主義者が、愛とは、その欲望の中にある意味を知り、
冷笑主義者が、
何を以て、真に笑う表情がいいか?わかった時に、
人が気づくのは、1つのことだけ。
このままであって、
何も求めることが、無い。
じゃんけん大会に、答えが出ないように。
魂の飛躍とは、
そういう事だよ。
おわり