物事を、
1つ成す事は、
当たり前のような事でも、
自分の事だと、
軽く見積もりがちなんだけど、

例えば、当然のように、
話したり、書いたり、
スマホを操作するだけでも、

赤ん坊から、
小学生を卒業するレベルの読み書きでも、
できてないから、
学ぶのであって、

今に到るまで、
学んできた。

そんな当然の事も、
忘れて、

才能が欲しい!
とか、思うのだけど、

もしかしたら、
とっくに持ってるのに、
それを自分を軽くみてるから、
素通りしてるのかもな?
と、思ったりする。

それがあると確信して、
建設的に磨いてこその才能だと、僕は思う。

何かがうまくいかない事ばかりに、
目を向けるだけでなく、
日常生活の全ては、
赤ん坊や90歳の老人ではできない事も、今できてる。

つまり、学習と努力は、
皆してるし、ある方面からみたら、
成功してない事が、少ないからこそ、
そのもっと難しい事に、
気を取られガチなんだと思う。

でも、それは赤ん坊から、
小学生〜今までで、
僕の実感だと、
物事を最初からうまくできた試しがないし、
物事1つを成す事は、
大人になろうが、
子供だろうが、
いつもいつも容易ではなかった。
と思う。

才能の有無は、
成長の速度なんだとする。

難易度のLEVELによる。

でも、
その当時者であれば、
今のステージで、
いつも、あと一歩、進みたいと、
何とかするだけで、

それはどんなレベルに達してる人でさえも、
今の自分のいるステージが、
客観的に、どんな難易度であれ、
上がろうが、下がろうが、
あるだけなんだ。

つまり、
一歩前に進む事は、
いつも、難しい事だ。

逆に、客観的な事実からみると、
その難し過ぎるレベルに到達してると、
逆に、人の一般化した普通の人たちには、理解されなくなったりする。

なのに、
とやかく言われる事もある。

物凄く難しい事を、
人から見たら、達成してる事さえ、
理解されないで、
自分も、普通の事と捉えていて、
そんな事も、
もしかしたら、あるかも?

とはいえ、
つまり、僕が書きたいのは、
どんなレベルであれ、
自分の分野と定めた事柄なら、
挑戦と夥しい失敗と少ない成功をしてる自分の事実を、
冷静になり、
自覚して、
建設的にやっていこう。

それ以外は、
ただの自滅なんだ。

将棋から学んだ事が、
普遍であると疑問を持つ人もいるけど、
僕の思考では、
成功するのに、
良い手は、少しが良くて、
95%は、ちゃんとした凡手の積み重ねだし、
どんなに完璧に指したくても、
2〜3%は、どうせ、失敗はしてる。

これは、物凄くレベルの高い質ができたパターンの話で、
それ以外は、もっと酷い。

悪手を、悪手と見抜けたら、
上手くなれるし、
普通は、自分の悪手を悪手と認識さえ、できない、そんな事も数多くある。

事実に即して、後から判断するしかないし、
どんな分野でも、
僕は、勝手に、
絶妙手が見つけられなかったから、
負けた経験よりは、
凡手が指せないで、負けた事の方が多いし、
もっといえば、
悪手を少なくできなかったから
うまくいかない時は、
自滅してるパターンを、
繰り返す。

それを学ぶのが、
全体の底上げになるんだと思う。

簡潔にいって、
失敗とは、
自滅してるだけなんだ。

そんで、
そもそも事を成す事は、
とても難しい事なんだ。

そして、
レベルアップは、
PDCAを回す学習するだけ。

時に、人体は、
全ての細胞は、
いづれ、癌細胞になるという話を、
聞いた事がある。

それまでに、
人は寿命を迎えるのだけど。

才能というのは、
何かしらの学習能力の差なのかもしれない。

けれど、
1つずつ、歩くことは、
楽しい。

自滅する可能性があっても、待ってるだけでは、いけない。

頑張ろう。

あと、一歩前に進みたい。

前に進む事は、
人にとって、
とても美しい。

それが無様でも、
それが素晴らしい。

そして、
自分は、自分の本物だと思うのは、
誰でも、みんな、
そうなんだと強く思う。

だから、
前を向くのは、
きっと、尊いんだろう。
自分の凡手のLevelと、
自滅のパターンを省みつつも、

自分も同じ花を咲かす可能性がある人だと、
誇りを胸に、
生きていたい。




終わり