僕のプロフィールです。 | “0から1を生み出す”コピーライティングの心髄 

僕のプロフィールです。

こんにちは。菅又啓太(すがまたけいた)です。

何気にアメブロでは本名を出したのは初めてかもしれません(笑)



最近新事業を始めました。

良い機会なので今回プロフィールを物語調で書いてみました。


ちょいと長いですが時間が許すのであればどうぞご覧ください。

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【言葉できっかけを橋渡しする】広告代理業/コピーライター


なぜこの仕事をしているのか?




2009年10月24日、秋も深まりこれから
だんだんと寒くなるという季節。

当時22歳。

バーテンダーという職人の世界に入り数カ月。

いつものように午後18時半、店に入り着替える。

白いワイシャツに黒いベスト、
黒のスラックスにサロンと呼ばれる黒くて長いエプロン。

バーテンダーがつけるこのサロンに憧れてたのは内緒だ。

ジャズが聞こえてくる店内で
いつも通り仕事着に着替え、まだバ―タイムとしては
時間が浅くお客さんの入りも少ない午後19時。


その時は突然やってきた。


「ちょっといいかな?」


店長に呼ばれ裏へ行く。


変な空気。




店長が重い口を開く。



「菅又君、悪いけど今月一杯だわ」



『え…?』



いきなりの解雇―



店側の勝手な都合だったがもう決定事項らしく
ただ一方的に告げられる。
結果、11月を目の前にして無職になる。


来週からの仕事がなくなった…



そのときは
バーテンダーとして自分が向いてないのかな?
自分には他にどんな仕事が出来るんだろう?
と悩んだ。

そこから

世の中の人ってどんな仕事をしているんだろう?




改めて思った。

バーにお客さんとして来てた人達は?

街中を歩いている人達は?

スーツを着て忙しそうにしている人達は?



パッと見の選択肢があり過ぎるからこそ迷う。


仕事もなかなか見つけられないまま年が明ける。


年が明けて間もなく、あるきっかけで一人の人と出会う。

印象は「少し年上の気さくなあんちゃん」。

話しやすいな。おだやかだし。仕事なにしてるんだろ?



社長だった。




その人は自分にビジネスのきっかけをくれた人になった。

何も知らない状態から一緒にビジネスをさせてもらう。


このときにはもうバーテンダーに戻る
という選択肢は頭にはなかった。


営業を始めた。こんな仕事あるんだ、と新鮮だった。

今までの仕事の感覚とは違った。




何ヶ月かやって少し結果が出た。


対面の営業の他にも色々ビジネス活動している中

ふと社長に言われた言葉

「菅又くんは文章で人を惹きつける方法が向いてるかもね。」



―自分の中で閃いた。


自分は文章書くことが得意かも…?






思えば小学生の時、だれでも一度は書いたことがあるだろう
国語の授業での作文。

先生から生徒に課せられたのは400文字の原稿用紙
【最低一枚以上】は書くこと。

周りの友達が漢字をあえてひらがなに書き直して
原稿用紙を埋めようとする中、

自分は何も考えずに頭から溢れてくる言葉をそのまま
書き連ねていた。
気付いたら原稿用紙4枚以上になっていたなんてことがよくあった。


今になって思うとそういう意味では自分はなにか
文章を書くことが好きだったし得意だったかもしれない。



社長の言葉がきっかけとなり

十数年を経てそれが確信となり今後の人生のきっかけになり、
今の自分に直結している。


【自分の得意なことが人の役に立つんだ】


言葉は人にきっかけを与える。

何かを買うきっかけ。

何かを始めるきっかけ。辞めるきっかけ。

自分がバーを辞めたのも、ビジネスを始めたのも

言葉によって与えられたものだった。

人にきっかけを与える言葉を使って人の役に立つ。




あれから一年半



フリーランスとして独立した。

営業を人に教える立場にもなった。
文章の書き方を教えることも出来るようになった。
個人で会社との業務提携までするまでになった。



【自分は文章を書くことを通して人の役に立つ】


その決意が今でも心の中心にある。
自分が出来ることを全力でやる。

まだまだ世の中にはきっかけを求めている人が山ほどいる。

その中には以前の自分のように人生を変えるきっかけが
あることすら知らずに彷徨っている人もいるだろう。

ビジネスが上手くいくきっかけを探している人もいるだろう。


人に【人生を変えるきっかけ】を与える。


これが自分の仕事をしている理由だと強く感じている



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菅又 啓太(スガマタ ケイタ)

惹句‐Jack‐コンサルティング 代表

惹きつける言葉でビジネスのサポートをする仕事。

成果の高い広告を書く仕事。



1987年北海道生まれ、北海道育ち。
現在東京、千葉を拠点に活動。

19歳、高校卒業後、仕事を探しに上京。

上京後はフリーターとしてホテル、レストラン、バーなどを主に多数の仕事を経験。


バーの仕事をしていた時の上司が昔ながらの職人気質。


上司の気分だけで自分の待遇が変わることに
【使われる側の立場の弱さ】を実感、無気力になりクビに。




その後、ある社長との出会いをきっかけに
自分の知らない世界を知ってみたいという思いから
22歳でビジネスの世界へ。



そこから自分の理想とする人生とは何か?を
探りながらビジネスにどんどんはまっていく。


結果も出すことが出来てコンサルタントとしても活動するようになる。




あるとき、自分が書いた文章が社長に褒められることがあり、

その時にコピーライティングというものがあるということを教えてもらう。

文章を書いて稼ぐことが出来る。

そんな世界があるんだな、くらいの気持ちだった。


それから、SNSで自己紹介の文章を書く機会があり、

それをネット上で見た見知らぬ人から
「どんな人か気になってメールしてみました」と
連絡があり会うことに。

これがきっかけでビジネスに発展することになる。


このときに「文章が人を動かす」ということに直に触れた気がした。



それから人を動かす文章「コピーライティング」に本格的に向き合うことになる。


同じように個人で動いていた営業マンに
営業そのもののコンサルと合わせて
文章の書き方も教えるようになった。
その数100名以上。




このときたくさんの同世代の人と会っていく中で
人生はきっかけが大事だと改めて思うようになる。




高校卒業後、進学、就職しか道を知らなかった自分が
個人で仕事が出来る状態になったというのはまぎれもなく
出会いというきっかけがあったからだ。




そのときに所属していた会社は起業一年で
年商が億に迫るところまで売り上げるようになった。
今でもこの環境で働けていたことは誇りに思う。




年が明けて2011年。
会社から独立して個人で働くことになった。



これまでいろいろな仕事をしていた中で
このコピーライターという仕事は
自分のこれからの人生をかけてやる仕事だと思った。




そう思うと自分で色々やってみたくなった。
失敗は早めにしておいた方がいい。
挑戦してみたい。




今まで会社の看板を借りて仕事をしてきたが
自分で価値を与えることが出来るようになりたかった。



市場のニーズやコピーライティングという仕事の
これからを考えた時、今がそのベストな
タイミングであることは確信している。



無気力だった自分が人の役に立ちたいと
思えるようになったきっかけがあったように、



どんな人にでもきっかけはきっとあるものだし
平等に与えられるべきだと思っている。


より多くの人にきっかけを与えるようになるために
まずは経営者に対して信用と実績を重ね続けること。



広告という不確定な要素があるサービスを
まずは成果報酬という形でさせてもらうことで
実績と信頼を得ることにした。



そして今後、たくさんの人に小さいものから
人生を変えるような大きなものまできっかけを与える事が出来るようになったら…


今度はそんな事を出来る人間を自分が育てサポートしていく。



その輪が広がり、選択肢がある人生を送れる人が
増えたらいいと思っている。
ひいてはそれが社会にプラスの影響を与えることになるはずだ。




もし今、昔の無気力な自分のような人間が目の前にいたら、
強烈なインパクトとともに人生の路線変更をさせる事が出来ると確信している。


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PS.ここまで長々と読んでいただきありがとうございました(^^♪

なにかしら共感していただけたら嬉しいです★