今に始まったことではありませんが、どうやら小劇場は本日も絶好調にてガラパゴス化を続けているようです。

 

事の発端は「当日パンフレットを用意するのは当たり前」という価値観です。

といいますのも、小劇場では当日パンフレットを用意するというのが一般的になっております。

これは大劇場しか普段見られないお客様にとっては驚きやもしれません。

大きい劇場では通常ありませんからね。

その当日パンフレットというやつには「あらすじ・挨拶・配役表」が書いてあるのが常です。

ですから観劇の記念に集める人もどうやらいるようです。

 

さて、皆さんに一度考えていただきたいのは何故当日パンフレットが生まれたのかと言うことであります。

 

この時点で、普段から演劇をお仕事にする、つまり、そもそも演劇というコンテンツで飯が食える状況を作る、ということをしっかりと考えている皆さんはお察しのことだと思いますが、

本来、当日パンフレットは脆弱な制作体制の補完のために他ならないのです。

 

例えば映画館で当日パンフレットのようなものをみなさんはもらったことがあるのでしょうか。

ないですよね。

我々が映画について調べたければHPを見ます。

そこにしっかりと「あらすじ・配役表」は書いてあります。

観覧の記念品がほしいなら、有料のパンフレットを買います。

そこには「挨拶」が書かれているでしょう。

小劇場ですと予算が小さく、そういったHPや商品としてのパンフレットに割けるリソースが少ないために、同じ満足度をもたらすために当日パンフレットは生まれたのです。

また企画が立ち上がりながら稽古されていくことも多いので、配役が決まっていないこともあるでしょう。

そうなるとパンフレットやHPでは間に合わず、当日のパンフレットで間に合わせる面もあります。

事実、当初から役が決まっている大劇場では立派なHPと有料パンフレットがあり、当日パンフレットがないということで揉めているのを聞いたことがありません。

この時点で「当日パンフレットを用意するのは当たり前」という命題はもはや命題にすらなっていないのです。

 

とはいえ、他の考え方もあります。

大きい劇場で当日パンフレットを配ると、況してや映画館だと莫大な予算がかかってしまうが、小劇場だと人数が少ない分実現するのだ、というやつです。

それも一理あると思っておりますので、安心してください。

先のはもっとも訴えたい主張ではありません。

 

そもそも配役をお客様に伝えることがどれだけ大事か、と思ってしまうのです。


もちろん配役は伝えたいです。

分からないようなシステムには致しません。

要は、その情報のプライオリティです。

 

我々の仕事は物語を届けることであります。

そこにどうして「誰がどの役をやっているか」という情報が何よりも大事なのでしょう?

物語に関係があるのでしょうか?

俳優の宣伝団体ではありません。

彼らのプロモーションを狙うための企画でありません。

ひたすらに、同じ物語を届けようという同志でしかないのです。

それを考えれば他になんらかのロジックがあったとしても「当日パンフレット」に予算を割いて配役をお伝えすることの緊急性必然性を感じません。

物語を届ける空間を作りたいのであれば、配役なんてのはプラスアルファの情報でしかないと捉え、二次的なHPや有料パンフレットのみの情報にし、その予算を別で使おうとする制作がいても良いのではないでしょうか?

 

また、舞台のチケットの金額なんていうのも気になったりしています。

例えば最低賃金が上がっているのになぜ舞台のチケットは上がらないのかということです。

もちろん上げるのが正義だとは思いません。

お客様のために最大限低価格で用意したいのは製作者全員の願いです。

ただ、小劇場だからいくら、という考えはあまりにも古いと感じてしまいます。

かかった人件費・材料費を補填するためのチケット代金があるはずで、一概に「この規模の舞台の金額はいくら」という考えは余りにも相性が悪いわけです。

だって、ルイ・ヴィトンとユニクロのかばんが同じ価格だったら驚きますよね?

材料費や人件費が違ったら同じかばんでも値段は変わってよいのです。

それで赤字になってしまった、や、舞台製作のお金足りなくて微妙な作品になってしまった、などと騒がれても困ります。

作品・物語のために作りたいのなら、そんなつまらない価値観はそうそうに捨て去るべきなのです。

 

当日券問題も大切ですね。

日本の小劇場の殆どでは当日券のほうが割高になります。

理由は簡単です。

前売りのほうがお得に感じさせることで前売りのチケットを伸ばすことに目的があるからです。

しかし、それも野暮ったい話です。

事前に購入が当たり前の文化を作りたい場合、事前の一般価格を設定します。

それが例えば5000円だとして、

+1000円で、付加価値である舞台の近さ、もしくは演出的なスイートスポット、を購入する権利が与えられる席がプレミア席もしくはS席などと呼ばれる席になります。

逆にー1000円で少し見にくい席を配席、などもあり得るでしょう。

それと同じ考え方でいくと、当日に来たお客さんは確かに事前に予約できなかった理由はあるにしろ、席は選びにくい状況で、と考えると当日券が高いのはかなり違和感のある措置なのです。

むしろ、私なんかは演劇にはふらっと遊びに来てほしい、という願いから当日券の金額はむしろ下げたりしています。

これは価値どうこうよりも、単純に制作団体として演劇が映画と並ぶひとつの娯楽になって欲しいために、1000円お客様にお支払いするので、ふらっと遊びに来てください、と伝えたいわけです。

 

と、ここまで気になっている小劇場のガラパゴスを紹介しました。

あくまで私の価値観の下にです。

別に明らかな善悪を以ってして、誰かのなにかを裁きたいわけではありません。

畢竟、誰がどうしようと自由だと思います。


ただ、小劇場とは本来、大劇場よりもずっと政治的な部分から離れた創作的な空間のはずです。

より自由に、価値観を提示していける場所のはずです。

そうなっていますか?と訴えたいのです。


今の小劇場には謎の価値観が未だに蔓延して、画一的な政治的な空間になってしまっていることが多いと感じます。

日本のアートはどこにあるのでしょう?

やりたいことをやると言って、制作的な部分をすべてどこかの真似をしているのはアートでしょうか。

本当に挑戦的に自由に戦っているのでしょうか。

小劇場に挑戦的な人が減ってしまっては小劇場の魅力がなくなってしまうと感じるのはわたしだけでしょうか。

 

最後になりますが、少しばかりのエゴをお許しください。


私の援助をしてくださっている制作の皆様は最高ですよ。

海外の制作チームのやり方を学んで、チケットの制度や価格の設定、場内での案内方法。

宣伝ツールとして個別イメージ画像を俳優へ提供。

動画としても、Behind The SceneやTrailer、Interviewまで用意しています。

お客様が物語に没頭するために色んなところに手を出してくれています。

出演者とは違う物語のアプローチをここぞとばかりに勝手に取り組んで下さいます。

こんなにクリエイティブな制作チームみたことないですけどね。


私が守りたいのは作品です。


 

 

下平