流石にもはや共通語となっていると思っていましたが、演劇から遠い友人からすると「2.5次元舞台」は未だに知らない単語のようです。


知らない方のために説明を致しますと、「2.5次元舞台」とは「2次元」と呼ばれる「漫画」を3次元である「舞台」にしたものを指します。

つまり漫画原作の舞台を2.5次元舞台と呼ぶのです。


この話を演劇に疎い友人にすると大体はしっくり来ない表情を致します。

そうです、「なぜ舞台なのに2.5次元になるのか、つまりなぜ漫画が原作だと0.5次元、次元が下がるのか」という疑問です。

そんなつまらないことを言うんじゃない、というような批判も聞こえてきそうですが、冷静に考えると随分おかしな日本語です。


思えば私もこの単語に当初は疑問がありました。

例えば小説は明らかに2次元ですが、なぜ小説原作はそう呼ばれないのでしょう。

それに3次元と呼ばれる舞台であっても、そもそもは脚本という2次元からスタートしているわけです。

さらに言えば小説だろうが漫画だろうが読んでいる人の頭の中には無限に広がる宇宙があるような気がしますけどね。

それを2次元と評してしまうこの国は悲しいと思ってしまいますが、それは置いておきましょう。


さて、この2.5次元舞台というものは、舞台のプロデューサーだけではなく出版社側のプロデューサーも一緒になって制作されます。

そのため問題が非常におきやすい環境であり、それを防ぐためにルールをきちんと決めて制作されることがほとんどであります。

その一つが原作通りに舞台を行う、などです。


これは誰かのエゴという話ではなく、すでに売れている作品である以上そこにはファンが存在し、彼らを守るためにも原作通りに行うことで炎上を減らすという方策です。

事実、原作から飛び出てきたような作品に仕上がっていた場合文句が出ることは稀です。


世の中には脚本術というものがあります。

それを勉強するとわかるのですが、基本脚本で転がすのは「ひとつのテーマ」です。

そして、ひとつのテーマを伝えるためのもっとも簡単な手段は「ひとつの事件だけ取り扱う」です。

もちろん複数に渡るものもありますが、それらは複数の事象を通して結局はひとつのテーマを扱っています。

(脚本家という肩書きにも関わらずテーマが絞れていなかったり、もはやテーマを用意していない脚本家もどきの皆さんは焦りを感じてください。)


カフカの変身で言えば、「家族の一人が毒虫になった」というひとつの事件を通して「コミュニケーションとは何か」というひとつのテーマを伝えたりしますよね。

さらに説明を加えると、ひとつの事件であるため、一番盛り上がる箇所というものが用意されます。

変身で言うと、主人公グレゴールの死です。

これが何個も盛り上がりができてしまうと、盛り上がりまでのストロークがどうしても短くなり、結果的にひとつひとつの盛り上がりが軽くなってしまうためです。


2.5次元舞台の原作である漫画ですと、この勝手が全く変わります。

もちろんそういったものもありますが、漫画は長編になる場合が多いため、事件も変わっていきますし、テーマも変わります。

更には漫画というのは「巻」がありますから、一冊ごとに盛り上がりを作ったりto be continued感を用意しなくてはならないのです。

そうなるとひとつの物語でも、事件がたくさんあったり、テーマがたくさんになってしまうのです。


さて、そう考えていくと、漫画原作の舞台の作り方への違和感が止まらないわけです。

漫画通りに舞台を作ることへの違和感です。

ファンの期待を裏切らないためにという気遣いは素敵です。

しかし、漫画の世界が舞台に飛び出す程度のことであれば、アニメで十分であります。

せめて映画でしょう。

映画はドキュメンタリズムの延長であるために3次元化することが目的なら映像の方が良い手立てです。

対する舞台は「生」で「物語」を伝えるために存在するのであって、決して3次元化という意味での「リアル」を伝えるためにあるものではありません。

シェイクスピアのように普段は言わないような言い回しをはじめとする、特殊な状況を用いて「心のリアル」を表現するものです。

観覧者が目の前にいる時点でリアルな状況は作れませんからね。

特殊を逆手に取るわけです。


更には漫画と舞台では楽しみ方が違います。

漫画は家で読んだり途中で休憩をしたりします。

舞台はそこに座らなければいけません。

それぞれ違ってそれぞれがいいのです。

それの境界線をお金を生むために雑に消そうとしている今の世の中には寒気すらします。


留意していただきたいのが、漫画というものは日本独自の進化を遂げた文化の一つであり、その舞台化というのは非常に面白いアイディアです。

その上漫画ひとつひとつも面白いので、それを使うというのは尚素晴らしいアイディアと言えます。

ですから悔しいのです。

舞台も漫画も素敵で、好きだからこそ悔しいのです。

現状ではどちらの良さも消えてしまっています。

毎度同じようなことを言ってしまって恐縮ですが、良い意味で漫画と舞台の違いは大切にせねばなりません。

舞台化にするにあたって漫画と違う部分が多くあって然るべきです。

現状の漫画が優位すぎる2.5次元舞台はあまりにも悲惨な状況です。


ただ、やはり出版社が漫画を守りたくなる気持ちも分かります。

日本には脚本化できる人材があまりにも少ないですから。


下平