少し前の事になりますが、パワハラという言葉がうるさい時期がありました。

最近はそれも少し落ち着いたようですが。

これが日本人が理性を取り戻したことによってそうなったと信じたいところですがおそらくはそうではないでしょう。

単になにかにつけて騒いでいたい彼らにとって旬が終わってしまっただけだと察します。

 

パワハラとは、パワーハラスメントのことであり、これは和製英語であります。

パワーのハラスメントであるので「地位や権力を利用した嫌がらせ」といった意味です。

実はこのパワハラは日本と韓国でしか使われていません。

英語のウィキペディアを見ても「日本では〜」と「韓国では〜」しかサンプルとして出てこないように、正確に言うと、2つの国の特有の概念であって世界共通の概念ではないそうです。

それは他の国では会社内のハラスメントがないというわけではありません。

そういったことが起きた場合、むしろ宗教問題や人種問題といった人間の尊厳を侵害している状況が多いため、その問題の一貫として処理されます。

 

対して、日本では会社内の「いじめ」が「パワハラ」として問題になっていきます。

むしろ、同族内における「いじめ」に限ってしか使われないのです。

外国人労働者に対する明らかな「パワハラ」を日本人は「パワハラ」と呼びません。

それらは「文化が違うから仕方ない」なのです。

世界共通語として「パワハラ」を見做す学者も居ますが、このように宗教や人種等で人を差別してはいけないという考えを仕事にまで引っ張っている他の国と、日本における同族内の単純な「業務に不必要な圧力」は全く別物だという理解は持たねばなりません。

 

「残業」という概念から生まれたのが「パワハラ」であり、大なり小なり仕事を生活のルーティンとして前向きに組み込んでいるような他の国ではそのような概念はないのでしょう。

おそらく「残業」も「残業」とは呼びませんからね。

日本と韓国といえば2大学歴社会主義共和国と言っても過言ではないため、勤勉さが命であります。

他人からの評価が一番であり、自分をないがしろにするのです。

その結果として嫌な仕事でも頑張ってしまうために「残業」をしてしまうし、それを指示するような人間は「パワハラ」という悪魔なのです。

あくまで憶測ですが。

 

パワハラという概念を作り出した時にモデルとなったものは「セクハラ」であります。

「セクシャルハラスメント」であり、性を理由とした不当な扱いです。

これは先の他の国における人種や宗教を理由とする不当な扱いを禁止する動き、と同じで人間の尊厳を守るための戦いであり、この活動になんら疑問は持ちえません。

性を理由にした言動こそ「悪」以外ありえませんからね。

 

では、パワハラはどうなのでしょう。

パワハラと検索して一番上に出てくるサイトの定義では、

同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為

とされています。

非常に曖昧な定義です。

とりわけ気になってしまうのが「業務の適正な範囲」とはなんぞや、です。

例えば残業の指示は業務外なのか、という話であります。

 

先程も申しましたが、日本人の仕事に対するやりがいはほとんどが行方不明であります。

ないよりも行方不明の方が正しい日本語でしょう。

新入社員がやる気に満ち満ちていても会社がそれを奪っていくのです。

マネジメントをやってきた人が少なすぎるためです。

上が下に指示すべきは「納期と仕事内容」ではありません。

会社をはじめとする団体が「どういう日程感でどこに進みたいか」を伝えるのが本来です。

それが伝われば察しのいい人は、いつまでにどのタスクを終わらせておけば、ということに気づきます。

そうでなくとも、会社の方向をしっかり伝えた上でタスクを伝えればよいのです。

それらをすることで、どのタスクしたことでどのように会社がよくなっているか、もしくは悪くなっているかが見て取れるため責任というものを持ちやすくなります。

責任を持つと、自分が責任者でなくとも、業務上必要なことがどれだけあるか、そしてどれだけ無駄なことをやっていたかに気づけます。

本当の意味での残業がなくなります。

 

もちろんこういったことは理論上の話で、現実では難しいこともありますが、いずれにせよ日本の会社がマネジメントできていないのは事実であります。

そうでないと、日本人の時給がこんなに低いのはおかしいわけですから。

お金が少ないともちろん人はやる気をくじきます。

その上自分が何をやっているからわからないのではやりがいなんて見つかりません。

やりがいが見いだせないと仕事はストレスだけになってしまいます。

そうなると、必要な業務ですら不要な業務に見えてきます。

部下と同じで、上司も上に同じ様な関係性で指示を出されているために、上司もわけが分からずに指示を出します。

そういった人間の指示も不要な業務に聞こえてしまって、という連鎖が会社及びそこにいる人間を駄目にしていきます。

それが「パワハラ」の正体です。

これらをその場しのぎ的に解決するための概念が「パワハラ」なのです。

 

これは単なる「パワハラ否定論」ではありません。

「パワハラ」というか、訴えるべき問題はたくさんあります。

しかし、ほとんどがおそらくそこが問題ではない、ということに皆で気づかなければならないのです。

会社の体質が問題であり、社会の環境が問題であるのです。

そこを直さずに、なんでもかんでも「パワハラ」で片付けてしまうと、それこそ環境はもっと悪くなっていきます。

日本はどんどん非生産的な国になっていきます。

 

つらいことをつらい、と訴えることは大切なことです。

しかしパワハラ以前の問題があります。

何かを訴えることによって、何かを傷つけていることがある、ということです。

不要な訴えで他の誰かを傷つける、そんな思いやりの無い社会だけは見過ごせません。

 


下平