よく電車が嫌いなんて人がいますが、かくいうわたしもその一人です。

 

正確に言うと電車は座ることができれば、空いていれば好きなのです。

それこそ新幹線でお弁当をたべてちびっとお酒を飲むなんて最高ですからね。

むかし、親父に「お前グリーン車乗ったことないだろ」とグリーン車をプレゼントされた日はもう至福でした。

 

要するに人混みが苦手なのです。

人混みですと、皆が皆、不快な思いをしているわけで、そうなるとマナーやモラルのレベルが下がってしまいます。

いつもだったら看過できないことも看過しあってしまうんです。

そうすると低マナーのハイパーインフレーションが起こります。

 

それともう一つ苦手な理由。

普段の生活でも、街なかでも、電車でも、音が全部入ってきてしまうんです。

もう少し丁寧に言います。

人間の耳は高性能で、自分がほしい情報をシャットアウトする機能があるそうです。

例えば遠くで電車の音が鳴っていたとして、友達との会話に夢中だとそれが聞こえなくなる、

けれど、一人だときちんと電車の音を認識できる、といった具合にです。

それが自分はうまくできず、すべての音が並列に聞こえてしまうんです。

ですから、満員電車にのるといろんな会話が聞こえてきてしまって気持ち悪くなっちゃうのです。

本当はこっちがきついんですけどね。

 

まあ、私の問題はともかくとして、電車のマナーの低さは日本の大きな社会問題の一つである気がします。

というよりもマナーに対する考え方が問題だなと思います。

 

電車でよく言う「リュックを前に背負いなさい論」みなさんはどう思いますでしょうか。

確かに人間は背中に目がついてるわけではありませんし、草食動物のように視界が広いわけでもないので、背中のリュックが人にあたってしまって、というのはあります。

それを防ぐためにカバンを視界に入れることができる前側に背負うというのは自明の選択です。

防犯の観点から考えても良いですね。

日本ぐらいですもんね、リュックにそんなに意識を向けなくても財布盗まれないのなんて。

 

一方で、痴漢防止の観点から見るとどうなのでしょう。

リュックを前側から背負えば、そちら側は確かに痴漢しにくくなります。

では、後ろは?

すごく嫌な話ですし、実態なんて知りませんが、テレビや友人から得る情報ですと痴漢のその殆どはお尻を触られて、からが多いと伺います。

ゴミの思考回路に思いなんて馳せたくはないのですが、でも確かに後ろのほうが痴漢し易いですよね。

それこそ後ろには目がないから。

逆を言えば、前側はリュック以前の問題に視界ど真ん中なので防ぎようがもっとありますし、そもそも痴漢しにくい部位でしょう。

そうなると、リュックを背負うべきは後ろじゃないのか、と思うわけです。

守りにくい背中側をリュックがあることで少しは防犯に繋がるのではないのかと思うわけです。

まあ、わたしは護身法の専門家ではないのでそれが正しいかどうかなんてわかりませんし、それを揉める前に「痴漢は死ね」ですので、それまでなのですが。

 

でも、要はそういうことなのです。

この満員電車をどう生き延びるか、という考え方がおかしいのです。

リュックを前に背負うべき、だの、後ろに背負うべき、だの、その論争の時点で負けてしまっているのです。

本来でしたら、痴漢の温床ともいうべき「満員電車がおかしい」ということを考えなければならないわけじゃないですか。

とは言うものの満員電車の緩和なんて容易ではないため、少しでも満員電車の暮らし(?)をよくするために満員電車のマナーについて考える、というのはひとつの考え方としてはあります。

しかし、それは「満員電車をどうにかする」という命題に向き合って初めて「その場しのぎ」という意味が持てるのです。

ただひたすらに「満員電車でのマナーについて考える」だけでは何の意味もなく、諸問題の根源とも言うべき満員電車は何も改善されないのです。

 

こういった問題に対する処理方法についてはビジネス界では随分前から共通の認識として持たれています。(日本では知りません。)

例えばまず何か問題があったときにはその原因を切りわけます。

そして、その問題に対する原因のそれぞれの程度を割り出します。

その上でもっとも重大な原因に取り組むことを「イシューに取り組む」と言い、先程のように目先の小さい解決しやすい原因から取り組んでしまうことを「犬の所業」と呼びます。

犬の所業は解決しやすいために、好まれます。

達成感を得やすいために、仕事をしている気分を味わえるのです。

分かりやすく短い期間で結果が出るほうが、人にとってはモチベーションが楽ですからやりやすい訳です。

逆に結果が出にくい、わかりにくいことは本能的に忌避されます。

しかしそういった簡単なものは実は達成感のみで本質的にはあまり状況が変わっていない、ということが往々にして起こります。

潰れていく企業によくあるのが、とにかく犬の所業を全員で回し、残業をたくさんするものの、稼ぎが低い、といった状況です。

まあ、これはこの記事にあまり関係なので詳しくは「イシューからはじめよ」という本を読むといいと思います。

 

兎にも角にも、私がもうしあげたいのは必要なことをして幸せになりましょう、という話です。

誰も頑張っていないという話ではありません。

日本人はこんなにも頑張り屋なのにどう考えても享受する幸せが少なすぎます。

だから、まずは満員電車に乗らなくても良い社会になってほしいですし(つまりそんなに朝から押しつぶされて嫌な思いをするほど必死に働かなくてもみんながお金持ちの世界ということです)、

痴漢が起こらないことが常識の国にはしたいですね。

 

ちなみにですが、

タイトルの「痴漢は死ね」は僕の大好きな伊坂幸太郎さんの小説からの引用です。

決して誰かに本気で向けたメッセージではありませんよ。


 

下平